改憲で自衛隊違憲論の封じ込めをねらう安倍(およびその周辺)の理論武装の不完全性(あるいは欺瞞性)

 憲法記念日,会見推進派の集会に安倍がメッセージを出してまたしても改憲に意欲を示したそうですが,言っている内容はここ数年まったく進歩しておらず,数年前からの議論を再び持ち出せば論評できる程度のものでしかありません。

 すなわち,安倍(およびその周辺)が言う「自衛隊を憲法に明記し、自衛隊違憲論に終止符を打つ」という考え方は欺瞞に過ぎず,「自衛隊を憲法に明記し」たところで自衛隊違憲論に終止符を打つことはできないのです。

 そもそも自衛隊違憲論は,自衛隊の存在そのものが違憲である自衛隊の存在そのものは違憲ではないが,場合によって活動内容は違憲となり得るとの2種類に分化できます。
 前者を述べる人は後者をも含むものであり(後者が前者の意見の根拠の1つとなっている),後者への対処が非常に重要です。

 しかし,「自衛隊を憲法に明記」することで違憲性を回避できるのは「自衛隊の存在そのもの」だけであり,活動内容は依然としてその内容によって違憲になり得ます
 組織の存在が憲法に書かれているからその組織の活動がすべて憲法に違反しないというのは無理論であって,自衛隊の存在が憲法に明記されたところで,自衛隊の個々の活動がすべて違憲ではないという担保はされません
 それゆえ,「自衛隊を憲法に明記し」ても,「自衛隊が違憲なので活動はすべて違憲」という主張は「自衛隊のこの活動は違憲」という主張に変わるだけで,自衛隊に関する違憲訴訟はなくならないでしょう。

 さらには,現状では自衛隊が憲法上あいまいな状態にあるからこそ,その活動内容についての議論を避けることができていたわけですが,自衛隊の存在が憲法に明記されると,個々の活動の合憲・違憲に関する議論は,そのまま自衛隊に活動をさせている主体となる内閣に跳ね返ってきます。つまり,安倍(およびその周辺)が主張する改憲が実施されると,自衛隊の個々の活動について,内閣の認識およびその妥当性が問われることになります。
 「自衛隊を憲法に明記」する改憲によって,自衛隊違憲論がなくなり,自衛隊に関する議論がすべてなくなる(封じ込めることができる)と考えているのであれば,安倍(およびその周辺)の認識は非常に甘いと言わざるを得ません。むしろ,自衛隊が憲法に明記されることによって,自衛隊の個々の活動についての違憲訴訟がその根拠を憲法に求めることができるようになり,これまでのような「自衛隊は違憲」という主張が「自衛隊のこの活動は違憲」という主張へ変化し,時々の内閣はそれを具体的に説明する責任を持つことになるという副作用が出てくることになります。

 そういう認識を安倍(およびその周辺)は持っているのでしょうか。
 持っているとすれば,これまで以上に自衛隊の活動について情報公開を進める必要があるということで,それはそれで望ましい状態と言うこともできますが,情報公開の推進は特に改憲を必要とするものではありません。
 持っていないとすれば,改憲によって安倍(およびその周辺)が自衛隊をこれまで以上に好き勝手に動かすことができる上に,情報公開の必要性がなくなると考えているのだということになり,これは法治国家の政治家としての認識の基本がなっていないことになるので,ますます改憲の必要性そのものがあやしくなってきます。

 結局,現時点で安倍(およびその周辺)が言う自衛隊を憲法に明記」する改憲は,特に必要がないわけです。




 再度言っておきますが,安倍(およびその周辺)が自衛隊違憲論者の意見として述べる「自衛隊が憲法違反だから自衛隊員は憲法違反の存在」というのは誤った認識です。自衛隊は行政機関であり,違憲訴訟の対象はその行政機関の存在です。自衛隊員という行政機関に所属する人員そのものが違憲であるということを問われることはあり得ません。
 「自衛隊が違憲である」と言っても,それは自衛隊という組織(行政機関)が違憲の存在であるだけのことで,そこに所属する人員やその職務内容は,それを命じた内閣の違憲性として否定されるに過ぎません。
 安倍(およびその周辺)は,自衛隊員をだしにして理論武装が不完全な改憲論を感情的に押し通そうとしているだけであり,国民がその感情論に乗る必要性はどこにもありません。

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