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zoom RSS やたらと自身を権威付けしようとする人のこと

<<   作成日時 : 2016/03/12 16:38   >>

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 2016年3月11日の『荻上チキ Session-22』で「保育園落ちた日本死ね!!!」に関するニュースが取り上げられ,当該Weblogの「言葉づかいの問題」について荻上氏がコメントしていました。
 その際,荻上氏は曽野綾子の「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」という発言(実際には「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』忘れてしまっていませんか?」のようですが)を取り上げていたので,それについて考えてみようかと思ったのですが,もともとの「日本死ね」Weblogに関連して目を通してしまった石井孝明の文章が,あまりにも「読まなくていい」「参考にならない」の典型で,これに関して書いた部分が長くなったので,まずはこの部分だけ公開します。


 石井の文章は,「物書きの端くれで」すらない私から見ても,いちいち反論が可能な「幼稚な文章だ」ということになります。
 質の高い文章を批判しようとすると,全体の流れや細々とした言葉づかいなど,1つ1つの文章構成要素そのものを批判することが難しく,往々にして「ただの難癖」で終わってしまうことが多くなります。しかし,1つ1つの構成要素に対して批判できる場合,それは文章の質が低いから1つ1つ批判が可能だという事になると考えられます。

 石井の場合,いちいち物書きの端くれ」「記者として訓練を受けた私」など,石井自身があたかも物書きや記者としてレベルが高いと言わんばかりの発言があるものですから,当然すばらしい文章を書くのだろうと思っていた……訳ではないのですが。

 そもそも,こういう手合い(自分の文章にいちいち権威付けしようとする人)の文章は読む価値なしだと思っているので,批判のために読んでいるだけであります(まあ,石井はものを書くことで飯が食えているようなので,文章を書く「プロ」とは言えるのでしょうが,文章を書くプロだからと言って文章のレベルが高いと思い込むのは危険だということですな)。

 では,すべてとはいきませんが,いちいち批判してみることにします。


1.
記者として訓練を受けた私に取って、いや普通の社会人に取っても、匿名情報源が流す情報は、真偽を確認できない危ういものだ
 もっともらしいことを言っていますが,この匿名Weblogが「匿名情報源が流す情報」であるゆえに「真偽を確認できない」のはどこかと考えれば,このWeblogを書いた「特定の1人の存在」であって,「一般的に保育園落ちた親が存在する」ということではありません。
 「保育園落ちた親(→待機児童)」の存在はこの匿名Weblogの情報に関わらない事実ですから,不特定の「保育園落ちた親」が存在することを疑う必要はないのです。

 安倍の「匿名なので確認できない」というコメントや自民党議員席からの「誰が書いたか分からないものを国会で取り上げるな!」というヤジは,匿名Weblogであることを理由にして文章を無価値なものとみなし,そこに存在する社会的問題から目を背けただけのものです。石井も自分が「記者として訓練を受けた」ことを誇るのであれば,匿名Weblogの記述の中で「真偽を確認できない」ものはどれでそうでないものはどれなのかを見分け,そこに存在する社会問題をあぶり出す努力をするべきだったのです。

 しかも石井は「経済記者として、さまざまな社会問題、経済的問題の発生と、その対応する政策の成立を観察してきた」ことを誇っているのですから,社会問題がどこに存在しているのかくらい理解しているはずで,「真偽を確認できない」情報が何なのかということくらい見分けが付かないはずないのです。

 「真偽を確認できない」情報については,その真偽を確認するのが当然の対応ですが,「真偽を確認できない」から「危ういものだ」と決めつけ,その全体を捨て去ることまでもが「記者としての訓練」に含まれているのでしょうか。それならば,記者などというものは実名の情報源から情報を受け,それを垂れ流すだけのスピーカー機関でしかないことになってしまうのですが。


2.
この文章を読んでみた。同情はする。しかし物書きの端くれである私から見ると幼稚な文章だ。「死ね」「子ども生むのなんかいねーよ」「税金使ってんじゃねーよ」という感情的な言葉の羅列だ。どこに共感すればいいのだろう。そして何も学ぶものがない。

 「何も学ぶものがない」のか「何も学び取ろうとしない」のかどちらでしょう。大学で講義を受けるとき,「何かを教えてもらおう」と考えていると「何も学ぶものがない」という事態に陥ることがありますが,それはその講義が悪いことになるのでしょうか。むしろ「何も学ぶものがない」と考え,ものをしっかりと見ようとしなかった学生本人の問題として捉えられるのではないでしょうか。

 中身を見てみると,「同情はする」と書いていますが,おそらく同情」という語の意味を分かっていないのでしょう。同じ段落で「どこに共感すればいいのだろう」と書いていて救いようがないのです。
 「同情するが共感できない」とはどういうことなのでしょう。まさか「同情→かわいそうだと思う」「共感→同じ気持ちを感じること」とでも理解しているのでしょうか。
 辞書上では、同情と共感の違いがどこにあるのかはっきりしないので、そこはきっちりと示してほしいものでした。何せ石井は「物書きの端くれ」で「記者として訓練を受けた」人なのですから。

 私からすれば,「同情するが共感できない」は論理破綻です。少なくとも,「同情」の使い方を誤っていて,論理破綻になってしまっていると言うほかないものです。1つの段落の中で論理関係に破綻をきたすような文章を書くのが,「物書きの端くれ」で「記者として訓練を受けた」人のやることなのならば,恐れ入るほかありません。まあ,このくらいの人だからこそ,この程度の文章を「物書きの端くれ」として恥じることなく発表できるのでしょう。もう1度言いましょう,恐れ入るほかありません。

 しかしながら,この部分における最大の問題は上のことではなく,物書きの端くれ」として高飛車な態度を取り、物書きでない人に「幼稚な文章だ」と言ってのけていることなのであります。

 一般的には逆と考えられるかもしれませんが,物書きではない人が他人の文章を「幼稚な文章だ」と批判するのは普通のことです。
 しかし、「物書きの端くれ」が物書きではない人(しかも特に物書きを志望していない人)の文章を「幼稚な文章だ」と批判するのは,「物書きだから批判する資格がある」と言わんばかりでいかにも権威主義的なのです。

 しかも石井の場合,「ものの書き方講座」のようなことで高水準だと定評を得ているわけでもなさそうですし,物書きとして「ものの書き方」を語れる確固たる地位があるわけでもなさそうで,石井が自身を「物書きの端くれ」と述べる根拠は,ただ単にものを書いて収入を得ることができているということだけのようであります。
 権威主義的な割には,その権威を裏付けるものがないわけですから,むしろこの権威主義的な文章の方が「幼稚な文章だ」とも言えるのです。

 後に続くもちろんブログに個人的な感情を吐露するのは表現の自由であり、変に騒ぐ周囲の人々が問題だ。というのも苦笑するほかないものです。この記事を書いたことで,石井自身がその「変に騒ぐ周囲の人々」の1人になっていることに自覚はあるのでしょうかねえ。


3.
民主党の山尾議員は検事出身だそうだが、いつも国会で感情的に騒ぐので気味が悪い「民主党的」女性だ
 この記述自体が「感情的」なものであり,気持ち悪いと言わざるを得ないでしょう。

 そもそも「民主党的」とはどういうことを意味する言葉なのでしょうか
 説明されなくとも感性で分かるというのであれば,それこそ「感情的」な言葉であり,他人の「感情的」な事柄を評論できるかどうか疑問です(単なる感情の対立でしかない可能性があるので)。

 逆に感性では分からないというのならば,説明が必要になるのであり,説明を省略するのは「物書きの端くれ」として必要な仕事をしていないということで,やはり批判されるべき部分になるのです。


4.
子育てが大変なことは自明である。私も、私の両親も苦労した。しかし、それをさまざまな人の協力などで乗り越えられた。
 これ,典型的な「自分ができたのだからおまえもやれ」論です。すべての人が石井や石井の両親ほどに「さまざまな人の協力など」を得られるとは限りません。だからこそ国(あるいはその指示下にある地方公共団体)がサポートする必要があって,その体制を整えるべきなのですが,そのサポートを自力で得られてしまった経験を持つ人,しかもそれを大きな苦労を乗り越えるものだったと思っている人が介入することで,本人の努力の問題にすり替えられてしまっているわけです。

 石井もご多分に漏れず,続けてこのように述べています。
不十分であっても、代替措置はいくつかある。民間保育園、民間託児所、親や親族の協力。保育園が子どもに、また家庭に最適かも分からない。そうした制度を利用しながら、大半の人は歯を食いしばって、子育てを行う。
 自分が苦労した(と思っている)からといって「大半の人は歯を食いしばって」というのは言い過ぎではないでしょうか。

 もちろん私は子育て経験もないし,周りの子育てをしている人が「苦労していない」とか「歯を食いしばっていない」とか言うつもりもありません。
 ただ単に,自分の経験を世間一般に無責任に適用し,それに合致しない人をそのゆえにどうこう言おうとしている姿勢に疑問を持つだけです。


5.
自分で問題を解決することを当然と思う。他人に施しをもらうことは、自由と活力と尊厳を失う面があることを認識する。権力には頼らない。こうした発想が社会の根底にあれば、国と個人は依存関係がなくなる。

 はっきり言いましょう,低品質の経済記者(もどき)が「国が国民に依存している」ことを疑問に思わないのは,税の存在が疑問なしの「前提」になっているからです。石井は「経済記者として、さまざまな社会問題、経済的問題の発生と、その対応する政策の成立を観察してきた」割には,「国が国民に依存している」という国家の根本問題を理解できていないのです。
 国家の成り立ちとその中で,税がなぜ必要なのかという政治学的な視点を多少でも持っていれば,税が「国の国民への依存」であり,「国と個人は依存関係がなくなる」という考え方がまやかしであることがすぐに分かります。

 個人(の総体としての国民)は国に税金を払っているわけですから,その時点で,「個人が国に依存するかどうか」に関係なく,「国が個人に依存する関係」が存在しているので,「国と個人は依存関係がなくなる」ことはあり得ません。「個人が国に依存する」とは,税を払っている側の国民が,いかに平等な分配を受けることができるかについての要求ということになりましょう。石井は,そんな単純なことも理解できていないわけです。


6.
しかし「保育園落ちた日本死ね」などと叫ぶ文章を称え、感情に流れ、適切な思考に基づかない社会混乱を作り出していけない。それは問題の解決を遠ざけるだけだ。
 この部分については,さっぱり意味が分かりません。「物書きの端くれ」がこのような「幼稚な文章」を公開し,1週間も後悔していないことに驚きを禁じ得ないのであります。

 人の文章を「ほめるな」と言って教条的なことをつべこべ述べるのなら,決して褒められたものではない自分の文章を見直す作業も忘れない方がよいでしょうね。



 そもそもの話をしてしまうと,この「保育園落ちた日本死ね!!!」というWeblog(はてな匿名ダイアリー)に対して「言葉づかいが悪い」とか「感情的な言葉の羅列」とかいう批判を浴びせるのは,逆にこの批判を浴びせる人がTPOを理解していないことを象徴しているのではないかという思いを禁じ得ません。
 元の文章,別に世間にお願いをしている文章ではなく,本人の感情を「そのままWeblogに書いてしまった」類のものです。もちろん文章を読んで,お世辞にも「言葉づかいがよい」と言えるものではないとは思いますが,そのことがこのWeblogの価値に影響するのでしょうか。

 考えてみれば,この文章,「たまたまドアが開けっ放しになっていた部屋をのぞいてみたら,書き手がひとしきり悪態をついていた姿を見てしまった」の図であり,「公衆の面前で書き手が声高に日本に呪詛を放っている」図だと解釈することに無理があったのではないでしょうか。だからこそ匿名ダイアリーに入っていたとも言えるのではないでしょうか。

 インターネットは「公開の場所」ですが,それは果たして「ドアが開けっ放しの個人の部屋」なのか「公共の場所」なのか「公衆の面前」なのか,その問題に答えはまだ出ていないように思います。しかしながら,どうやら言葉づかいを批判する手合いは,これを「公衆の面前」だと思っているようです。だからこそ,「言葉づかいが悪い」という批判ができるわけですね。
 それにしても,この種の批判をする人は,どのような感想を述べるときでも,すばらしく上品な言葉づかいをするのでしょうね。そんなことができない私からすると,何ともうらやましい限りである……とは思いません。上品な言葉づかいしかできない人は,上品な言葉づかいができない人と同様,言葉を知らないということなのですから。



 まあ,この文章を読んでの収穫は,「石井孝明」という「物書きの端くれ」にして「記者として訓練を受けた」「経済記者」を名乗る人の書くことなど信用しなくてよいということを(再)認識できたことでしょう。


参考
アゴラ:石井 孝明「保育園落ちた日本死ね」ブログをほめるな
 http://agora-web.jp/archives/1671910.html

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