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zoom RSS 「民族抹殺」を自慢気に語る人たち

<<   作成日時 : 2014/08/25 10:48   >>

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 「アイヌ民族を滅ぼした」と自慢気に語り,民族抹殺を恥じることのない自称「大和民族」or「日本民族」の金子という札幌市議会議員がいます。
 正確に言えば,金子は民族を自称すらしていないのですが,市議会議員をしていることから日本国籍を持っていることは明白で,金子自身は「大和民族」とか「日本民族」であることに何らの疑問も持っていないのでしょう。
 しかし,「日本人=日本国籍を持つ者」であることは簡単に証明できても,「大和民族」or「日本民族」に属することを客観的に証明することは非常に難しいのが現状です。

我が国では戸籍や住民票へ「アイヌ」との表記はありません。

「アイヌ」を法的に証明する根拠が現行法にないのです。

また日本という一つの国で同じ教育を受け、同じ言葉、同じ法制度で生活する中で

アイヌであることをわざわざ証明する必要もないのが現状です。

 金子はこのように述べて,「アイヌ」を法的に証明する根拠がないと言います。
 さらに現在「アイヌ」を認めるプロセスについて「それではそもそも、「アイヌ」であることはどうやって証明しているのでしょうか。驚いたことに、北海道アイヌ協会が「アイヌである」と証明書を出すことで、補助が受けられる仕組みなのです。」としていて,「北海道アイヌ協会が認めないと、本当に純粋なアイヌでも補助が受けられない。北海道以外に住んでいるアイヌの方はどうなるのか。」との問題意識を述べています。
 Twitterでは「アイヌ民族なんて、いまはもういない」とか「せいぜいアイヌ系日本人が良いところ」とも言ったそうです。
 一見すると正論のように見えるのですが,この発言の奥には,アイヌ(だけでなくいわゆる「日本人」「大和民族」「日本民族」とは異なる民族)への差別意識と「大和民族」or「日本民族」という存在の根拠の希薄さへの意識の低さが見えてきます。

 まず「アイヌ民族なんて,いまはもういない」と言い出す必要性が見受けられません。金子の問題意識はアイヌにまつわる「利権」の行方であり,現在「アイヌ」がいるかいないかはまったく関係ありません。
 金子は平凡社の『世界大百科事典 第二版』を根拠に「「アイヌ民族は既に滅びた」と言っているのは自説ではなく、事典に書いてあるのです」「正しい教育を受けて本を読んでいる国民なら、みな知っていることです。」としています。
 ただし,金子は自身が引用している記事の中で,「明治以来の同化政策の効果」が原因の1つとされていることには言及していません。日本人と同化させてしまうことによってアイヌ民族を抹殺しようとする政策なのですが,その「効果」によって「アイヌ民族なんて,いまはもういない」と言えることは,先進国として恥じるべきことではあっても誇るべきことではありません。金子がこの記事を引用してアイヌ民族の存在を否定するのは,過去の日本政府の悪行をさらけ出すことでもあるのですが,そういう視点は存在しないのでしょうか。

 さらに,当の平凡社が2007年にその記事を「現時点では適切なものではないばかりか、アイヌ民族に対する偏見や差別を助長しかねないとの認識にいたったため」に全面的に改稿したことについて,引用の段階でそのことに気づいていなかったらしい金子は,それを各所で指摘されたからなのか,以下のように言います。
先日引用した平凡社の世界大百科事典は、その後「差別だ」とするクレームがあり、知里先生の没後数十年を経て、なんと出版社が当該部分を削除してしまったとのこと。
「差別」の一言で言論を封殺する手法がいまだに見られることは残念でなりません。
今日ですらこれだけタブー視されるこのアイヌ民族問題をいまから半世紀以上も前に問題提起した知里先生の勇気は想像を絶するものがあったと思います。
たとえ事典から文章が削除されようとも、「民族」「差別」を叫び経済的利益を得る生き様に警鐘を鳴らした知里先生の見識の輝きは決して消えることはないはずです。

 自分にとって都合の悪い改定は「削除」であり「言論封殺」であり,「タブー視」であるそうです。
 金子がもともと問題としていたのは「アイヌを称する利権の問題」なのですが,それを「「民族」「差別」を叫び経済的利益を得る」ことにすり替えています。さらにそれらの施策を講じなければならない原因となっている「民族差別」からは完全に目を背けてしまっています。そもそもの問題がこのような姿勢で解決されるものであるとはとうてい考えにくいでしょう。
 そもそも知里真志保が「問題提起」したのは「アイヌ」が「「民族」「差別」を叫び経済的利益を得る生き様」についてだったのですかね。金子が「アイヌ施策」と呼ぶもののほとんどがなかった時代に生きていた人なのに


 そもそも「何がアイヌであることの証明となるのか」ということです。客観的証明において「血縁」以外に何を求めるのでしょう,言語、生活様式、居住形態、ほかさまざまな「文化的要因」を求めるのでしょうか。
 まさか金子は,そのような「文化的要因」を求めるようなことはないでしょう。アイヌ文化の保存を「アイヌ」のみの役割として「アイヌ」に押し付けること,それこそが知里真志保が問題提起したことなのですから。

 さて,「文化的要因」「だけ」を考慮した場合,アイヌは文化的にも言語的にも日本人と何ら変わらないのだから「アイヌなんていない」というのが正論に見えてきます。しかし,ここでは根本的な問題が考慮されていません。
 それは「日本人であることとは何か」ということです。金子のような手合いは「アイヌ」であることにはさまざまな論証を要求しますが,自分が何を以て「日本人」であると主張できるのかについては何らの疑問も抱かないのです。


 アイヌを異民族として排除・浄化してきた歴史の中で,同じ「日本人」であるということを語っている知里真志保の言を持ち出して「アイヌなんていない」ことの補強証拠として使おうというのは,不見識極まるとしか言いようがないものです。そもそも知里真志保の「なぜアイヌのみ異民族扱い」という問いを「私はアイヌではなく大和民族だ」のような形でとらえるのが,非常に奇妙なことなのです。
 この言はもともと,同じ「日本」という国家を構成するコミュニティの中の一員であるのに,「異民族」として差別・排除の対象(同じ「日本人」であるのに,「アイヌ民族」として差別・排除の対象)になっていることに対しての抗議と考えるべきです。また「アイヌ民族」や「アイヌ」の文化を残していくのは「日本」に住む人が全体で負うべき義務であるはずなのに,それを「アイヌ」のみに押し付けていることに対して疑問を投げかけるものでもあるのですが,これを「自分はアイヌ民族ではない」と表明しているものとしてとらえ,「アイヌ民族なんて,いまはもういない」証拠として考えるのは,もはや曲解の類でしょう。
 金子のような手合いは「日本人=日本民族」としか考えることができず,「アイヌ民族」が日本の中で生きていく苦労を「日本に同化された」としかとらえられないのかとも思います。

 金子は「明治生まれの知里先生が「アイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまった」と書いておられるとおり、その民族性はアイヌをルーツに持つ日本人に引き継がれたのです」と言い放ちますが,「その民族性はアイヌをルーツに持つ日本人に引き継がれた」ことを客観的に証明する術はありません。「その民族性」を「日本人」が抹殺して現在完全に滅ぼしてしまった可能性もあります。
 それにもかかわらず,また,知里真志保の「アイヌ文化は明治時代以前に滅びてしまった」という発言を引用しているにもかかわらず,「アイヌをルーツに持つ日本人に引き継がれた」と書くのは,「日本人は異民族を取り込んで同化することはあっても,異民族を抹殺することはない」という「客観的に証明する術のない」思い込みがあるからなのでしょうか。



 この件について,「日本は単一民族」主義者のcoffeeは「現在、アイヌ人は、言語も衣食住文化も日本人に同化しており、既に人種学的にも文化的にも「日本人」になっている。」と言っています。しかしこれは,日本による「民族抹殺」の結果を積極的に肯定するものであるということについて思いが至っていないようです。
 また「人種学的にも文化的にも「日本人」になっている」ことを証明するのは,簡単なように見えて実は非常に難しいのです。


 そもそも「文化的に「日本人」」とはどのようなものでしょうか。そもそも現代の日本人の一般的生活を「文化的に「日本人」」と言うことができるのでしょうか。西洋式のスーツを「正装」だと思い込み,外来語まみれの「日本語」を操り,洋画を見るために列を成し,肉を好んで食べる。このような現代人のどこが「日本人」的なのでしょう,そして,どうなれば「文化的に「日本人」」なのでしょうか。
 まさか単に「現代日本で特に違和感なく生活できている」ならばもう「文化的に「日本人」」だという訳でもありますまいに。

 また,「人種学的に「日本人」」というのもよく分からないものです。coffeeは「もし日本民族を細かく分類するなら、いくらでも細かく分類できて限がない。」としていますが,そうなると,「人種学的に「日本人」」というのは相当可能性が広がりそうです。その上,「アイヌ」だけに限ってみても,アイヌと「日本人」の混血が「日本人」優勢で進むというのは,どれだけ「人種学的に」証明された考え方なのでしょうか。混血の結果むしろ「日本人」のほうが駆逐されてしまった可能性は,「人種学的に」どのような理由で否定できるのでしょうか。
 ここまで疑問を並べることができるのは,そもそも「大和民族」や「日本民族」の認定が「他の可能性を排除した残り」でしかないことによります。この点,オリエンタリズムの結果として西洋人による「日本人」認定で決定できるかのように思われていますが,「中華民族」(漢人)や「朝鮮民族」(朝鮮人)が西洋人に認知されるに至って,「日本人もそれらと大差なし」という認識も広がっているようですので,西洋人による「他者からの認定」はあまり役に立ちません。
 不都合な真実として「大和民族」や「日本民族」を規定する要素は,それこそ「客観的に証明するすべはない」ものなのです(少なくとも「〜である」式の肯定的な認定ができないものです)。それが(「日本」という地域の中では)強者であった「大和民族」「日本民族」の実態です。


 coffeeは「もし日本民族を細かく分類するなら、いくらでも細かく分類できて限がない。」ために「琉球人もアイヌ人も全て含めて「日本は単一民族」「アイヌ民族なんて今はもういない」との見解は、間違いのない正しい認識なのだ。」としているのですが,これは為政者(侵略者・支配者・権力者・多数派)側の勝手な論理でしかありません。
 「限がない」ことを理由として(行政から見れば「行政の効率化のため」でしかない)人種・民族の存在を抹殺できるような国や行政主体は,「人権が擁護されている」とか「文化的に進んでいる」とか言うことはできません。
 そもそも「日本は単一民族」という考え方そのものが,日本の(現代日本ではなく通時的な日本という「国」の軌跡)侵略国家性を明らかにするのです。単一民族という考え方は決して「日本民族と同化した結果を肯定するもの」ではなく「人種・文化の多様性を抹殺した結果を強調するもの」でしかないということになるのです。

 coffeeは「日本民族を細かく分類すれば、(中略)数十種類に分けることも出来る」から「アイヌだけを日本人と区別するのは整合性がなく、頓珍漢だ。」としていますが,「数十種類に分けることも出来る」のに分けていないことこそ「整合性がなく、頓珍漢」なのであります。
 行政の効率化という題目のために,日本民族を「数十種類に分けることも出来る」のに分けていないということなのです。かの中華人民共和国ですら56種類の民族が存在することを公式に認めているこのご時世に,「限がない」という「整合性がなく、頓珍漢」な理由で「日本は単一民族」と言い張ろうとするのですが,そこにあるのは「すべてに単一の可能性しか認めない」了見の狭い思想であり,このように言い張る手合いは,中共よりも了見が狭いとも言えるのでしょう。

 そもそも「自由主義」とか「平等の保障」とか「多様性の容認」とか言ってみたところで,そこにあるのは国家権力や行政によって認められた場合にのみ存在が許容される括弧付きの「自由」「平等」「多様性」だけです。「単一民族の日本」は,自由も平等も多様性もなく,政府に従順な者だけが,政府に認められた単一の「自由」「平等」「多様性」を,絶対的な自由・平等・多様性だと思い込んで(思い込まされて)享受しているだけの地域になるのです。



 北海道で市議会議員を務めていながら,「アイヌ」を「過去の遺物」として日本に取り込んでしまうこの姿勢は,そのまま中共のウイグル(新疆もしくは東トルキスタン)やチベット(西藏)支配の構造につながるものがあります。
 中共はウイグル族やチベット族を「少数民族」として取り込んでいますが,それは「漢化」(中共化)が前提条件です。「漢化」されていない(中共に批判的な)ウイグル族やチベット族は「破壊分子」として排除されます。「少数民族」としての恩恵にあずかれるのは,中共の支配にとって都合のよい人で,人種的・文化的に「少数民族」である人ではないのが現状です。
 日本のアイヌ支配政策もこのような類のものです。所詮「同化政策」とはこの程度のものであり,「民族」は為政者に都合よく決められるものでしかありません。


 金子は「「レイシスト」「ネット右翼」「議員辞めろ」などと批判する電話もありました」と自らのWeblogで述べていますし,金子を「ネトウヨ議員」とけなすサイトもあるようですが,金子のことはむしろ「中共と仲良くなれそうなブサヨ」とでも呼んであげた方がよいかもしれません。


 また,ダライ・ラマ批判は,coffeeのような手合いの「フリーチベット」が「チベット族の自立」を目的としたものではなく,「チベット族がどうなろうと,中共がそれによって打撃を受ければそれ“だけ”でよい」と考えていたことを明らかにしたのですが,中共によるウイグルやチベットの同化政策,およびその結果を積極的に肯定する考え方も持っているということも,今回のアイヌに対する態度から明らかになったのであります。



*余談1:そもそも「先住民族の存在を認めること」と「特権」がセットになっていること自体が,日本が侵略国家であり,先住民族を蔑視してきたという歴史を明らかにしているのであります。「日本」の拡大が歴史的に完全な同意による併合・合流で,先住民族への蔑視も存在しないのであれば,先住民族に特権を与える必要はないはずです。しかし,「先住民族=特権」というセットしか思いつかない(施策としてそのようにする可能性しか存在しない)というその時点で,実は「日本人」が先住民族を侮蔑してきた過去を持っているということが明確になるのです。
 そして,金子のような手合いの物言いは「先住民族への施策は特権」という認識のみが先行して,民族の存在そのものを抹殺して完全に「日本人」と同化させてしまう方向に意識が向いた結果なのであります(そこには「先住民族が滅亡してしまえば特権は必要なくなる」という意識しか存在せず,「民族を抹殺すること」への罪悪感や「異民族」への尊敬の念はかけらも存在しない)。

*余談2:同じ自民党の土屋正忠の言を援用すれば,金子は「北海道全体のことを語りたければ札幌市議を辞職して北海道議会議員になってから言い出すべきで,北海道以外のことを述べたければ札幌市議を辞職してその土地の議会議員になってから言うべきである」ということになるのですがね。

*余談3:ちなみに,人種とか民族を言い出してみれば,万世一系などとうそぶいてみても,現在の天皇が「神武天皇のY染色体を継承している」ことは「客観的に証明するすべはない」のが現実であります。本来これは「物語」でしかなく,そのことは「客観的証明」ではなく「多数の承認」によって一応の事実と認められているに過ぎないからです。
 ただし「天皇家の万世一系の物語」が遺伝学的には証明不可能であることと,天皇家の正統性(あるいは天皇の存在の正当性)とは関係がありません。そもそも日本に天皇が存在することの根拠は,その程度の不安定なもので,歴史性もその程度であったのです。しかし,それを何とか権威付けようとして遺伝学的に何とか言いつくろおうとする手合いが存在し,客観的に証明しようとしたために,結果として客観的証明は為されず,客観的証明がないことによって却って「天皇家の正統性(天皇の存在の正当性)」が疑問視される効果を発生させたのです。



参考(トラックバックは一部記事にのみ行う)
札幌市議会 金子やすゆき ホームページ:
 「なぜアイヌのみ異民族扱い」故・知里眞志保・北大教授談
  http://kaneko-yasu.seesaa.net/article/403970500.html
 「民族としてのアイヌは既に滅びた」〜世界大百科事典(平凡社)より
  http://kaneko-yasu.seesaa.net/article/403883497.html
 アイヌ施策に関するツイートについて
  http://kaneko-yasu.seesaa.net/article/403843702.html


正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現:「アイヌはもういない」発言の金子市議に批判殺到「ヘイトスピーチ!レイシスト!」・アイヌ特権
 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5545.html


国民生活センター:『世界大百科事典』「アイヌ関連項目集」についてのお知らせ
 http://www.kokusen.go.jp/recall/data/s-20070428_1.html

北海道新聞[札幌圏]:札幌市アイヌ民族施策「文化伝承、格差是正のため必要」 研究者指摘 貸付制度には問題点
 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/558025.html


村野瀬玲奈の秘書課広報室:自民党・市民会議所属の金子快之札幌市議の「アイヌ民族なんて、いまはもういない」発言の二重の誤り
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5913.html

inti-solのブログ:アイヌはもういないのだそうだ
 http://plaza.rakuten.co.jp/intisol/diary/201408180000/

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内 容 ニックネーム/日時
>coffeeは「もし日本民族を細かく分類するなら、いくらでも細かく分類できて限がない。」ために「琉球人もアイヌ人も全て含めて「日本は単一民族」「アイヌ民族なんて今はもういない」との見解は、間違いのない正しい認識なのだ。」としているのですが,これは為政者(侵略者・支配者・権力者・多数派)側の勝手な論理でしかありません。

そんなことはない。
俺の出身地は蝦夷(えみし)の地域だ。
「火怨」や「炎立つ」などの小説から学術的なものまで様々な本を読んで、12世紀まで蝦夷が大和朝廷には属さない異なる民族だったことは明らかだ。
アイヌの場合は、蝦夷と比べれば19世紀までかなり小規模に存在はしていたが、今はもう自然消滅した。
大和朝廷が蝦夷を征服するために、何世紀にも亘って非常に多くに人命が失われたのと比べれば、もともと非常に書規模なアイヌは平和裏に自然消滅したのだから、今頃「アイヌはまだ居るニダ!」とか言って利権を貪るのはみっともない。
だったら、蝦夷についても、アイヌと同じようにしてみろ。

(参考)
先住民族アイヌの権利回復を求める団体・個人署名の要請

◆呼びかけ人・団体◆
旭川アイヌ協議会
アイヌ・ラマット実行委員会
おんな組いのち

◆呼びかけ人◆
金  時鐘 (詩 人)   
佐高  信 (週刊金曜日編集委員)
辛  淑玉 (人材育成コンサルタント) 
田中 優子 (週刊金曜日編集委員)
中山 千夏 (作 家)
朴  慶南 (エッセイスト)
針生 一郎 (丸木美術館館長)
藤崎 良三 (全労協 議長)
丸山未来子 (おんな組事務局)
coffee
2014/08/25 23:01
書規模×

小規模○
coffee
2014/08/25 23:02
>coffee氏
>大和朝廷が蝦夷を征服するために、何世紀にも亘って非常に多くに人命が失われたのと比べれば、もともと非常に書規模なアイヌは平和裏に自然消滅したのだから、今頃「アイヌはまだ居るニダ!」とか言って利権を貪るのはみっともない。

 単に「自分たちは我慢しているのだから,それよりも条件的に恵まれている(ましな)人は我慢するべきだ」と言っているだけですね。あるいは,アイヌだけが「恵まれている」ことへのやっかみとも取れます。
 「蝦夷も先住民族と認め,必要な政策を講ずるべきである」という考え方もあるのでしょうがね。


>だったら、蝦夷についても、アイヌと同じようにしてみろ。

 それはいい考えですね。ただ,蝦夷を「先住民族」として「大和民族」or「日本民族」と分離することが,coffee氏の考えと相容れるかどうかは疑問ですが。
Eric Prost
2014/08/26 15:20

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「民族抹殺」を自慢気に語る人たち Eric Prog/BIGLOBEウェブリブログ
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