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zoom RSS 同じ穴の狢が相手を批判するという事例への態度

<<   作成日時 : 2014/07/15 09:05   >>

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“听任感情而触犯最敏感的人们心情的愚人是最可恶的”
 これは『重慶青年報』が広島と長崎にキノコ雲を配した地図広告を掲載した件について,私が“新浪微博”でつぶやいた内容です。まあ,歴史認識に関して鈍感な日本人をターゲットとしてこの地図広告を利用したかったのでしょうが,あまりにもデリカシーに欠けると言わざるを得ません。


 さて,『重慶青年報』が広島と長崎にキノコ雲を配した地図広告を掲載した件は日本でも報道されましたが,日本政府が抗議したことを受けて,7月10日に『環球時報』が社説(“社评”)で論評しています。

 社説のタイトルが“抗议《重庆青年报》,日本太滑稽了”,「『重慶青年報』に抗議するなんて,日本はまったく滑稽だ」ということですが,ここからも見られるように,『環球時報』の社説は国家と国民(人民)を無分別に一体化させています。これは共産党指導国家の特徴であると言ってしまえばそれまでですが,日本国内の世論が分裂していたことをことあるごとに指摘していた「集団的自衛権」問題の時の外交部(=政府)やCCTVの視点と比べてみれば,この考え方は非常に御都合主義であると言わなければなりません。

 もちろん,都合のよい時だけ広島・長崎の被爆者を持ち出して被害者面をしている日本政府の姿勢も御都合主義なのですが,相手の御都合主義は自分の御都合主義を正当化する材料にはなりません


 さて,村野瀬がこの件を取り上げていますが,村野瀬のものの見方もまた国家と国民を無分別に一体化させるやり方の亜流であります。「日本が20世紀前半、1945年までおこなったアジア諸国への蛮行、侵略を正当化しようとする日本人」とか「そのような日本人」などと限定していますが,そのような限定をつけても『環球時報』の記事の内容の理解には役に立たないということに注意が必要です。

 そもそも『環球時報』は,どのような「日本人」かということに言及していないので,ここに出てくる「日本人」は限定表現のない「日本人」です。
 ある個人が「日本が20世紀前半、1945年までおこなったアジア諸国への蛮行、侵略を正当化しようとする」かどうかは関係ありません。そのような「日本人」であっても,それに批判的な「日本人」であっても,「キノコ雲」の下で苦しみを受けた被爆者も,それらすべてを包含した「日本」そのものが“滑稽”だと言うわけです(だから私は「デリカシーがない」と感じるのです)。


 さて村野瀬は「イケてる明太子 きゃー! プチプチよっ! (@Nadesiko_nouvea) さんの指摘というか表現がうまい」と書いていますが,これは『環球時報』の記事を引用した新華経済日本語版の表現です。つまりこの「指摘」そのものは『環球時報』の社説のものであって,「日本人が考えたもの」ですらないのです。(「イケてる明太子 きゃー! プチプチよっ! (@Nadesiko_nouvea) さん」がXINHUA.JPの「小豆沢紀子」氏と同一人物である場合にのみ「表現がうまい」が「翻訳がうまい」としてかろうじて成り立つだけ)
 普段過去の記事をきちんと参照せよと言っている人が,引用したリンクの日本語を読めば分かることすら見逃しているというのでは,その説得力も下がろうというものです。


 村野瀬は「集団的自衛権という名目で攻撃的・侵略的軍事国家になろうとすることに強い警戒を示すアジア諸国があるのは私にとっては全く不思議ではありません」としていますが,警戒感を示すことが不思議でなくても,その表明には手段を選ぶべきであります。
 ましてや,核保有国がキノコ雲を描くというのは,それを実行する能力を持っているということから考えても,まったく不謹慎であり,それ自体が批判されるべき対象であります。
 「集団的自衛権という名目で攻撃的・侵略的軍事国家になろうとすることに強い警戒を示す」ことが不思議ではないのなら,「キノコ雲を描くことで核兵器を使うことを示唆するような表現に強い警戒を示す」こともまったく不思議ではないでしょう。
 今回の『重慶青年報』に載せられた広告の表現は,「日本を愚弄するものだから」あるいは「日本人だから」批判すべきものと思う人もいるのでしょうが,実際に原爆で被害を受けた人たちにその再来を予感させることで,さらにその人たちを愚弄するものであるという点で批判されるべきなのです。


 まあ,一番言いたいのは何かというと,日本全体が「第2次大戦がらみの感情にこれほど敏感なのに、首相の靖国参拝や高官の南京大虐殺に対する否定、慰安婦問題における詭弁などで中韓などアジア諸国の人々を傷つけることは平気」なわけではないということです。また,この種の「十把一絡げ」的なくくり方を(政府系)新聞がしているのを無視し,勝手に表現を付け加えることで理解可能なものとすることが,実際利しているのは他国政府であって国民とは限らないということに無頓着な言論を座視するわけにはいかないということです。
 私自身は,保守派を主とする侵略戦争美化の動きに対抗すると同時に,『環球時報』の“神一样的逻辑”にも反対するのが体制抵抗派に求められていることではないか思いますが,片方に賛成して片方に反対するのが普通の流れだと考えている人が多いのかと感じます。しかし,その姿勢こそ“神一样的逻辑”でしかないものです。


 それから「重慶青年報は単なる地方の週刊紙にすぎない(《重庆青年报》是一家当地发行的周报)」とか「中国の一部地域の民間の考え(它所表达的是中国某一区域的民间看法)」という表現にも注意が必要です。
 「地方新聞」といえども,「民間の新聞」といえども,政府の指導の下で新聞を発行できるのであって,どんな場合でも“它有权以自己认为合适的方式组织报道”(自分たちが適切だと思うやり方で報道する権利がある)わけではないということに注意する必要があり(もしそうなのであれば『南方週末』事件は発生しなかった),これは言い逃れにもなりません。
 また,「地方の週刊紙」=「影響力が低い」という構図が成り立つわけでもありません。例えば『新京報』は北京の地方紙ですが(北京以外ではお目にかからない),日本でもよく取り上げられますし,天津衛視がニュース解説の素材として取り上げるなど,発行されている「地方」以外にも影響力を持つ場合があるので,「地方紙だから影響力が低い」ということにはならないのです(さらに言えば『環球時報』の原文に「〜にすぎない」という「価値が低い」ニュアンスを持つ表現はない)。

 『環球時報』は"如果日方感到不开心,也应以商量、请求的方式与之沟通,而不是悍然做所谓的“抗议”"日本側がこれに不快感を覚えるのなら、「ご相談」や「お願い」といった姿勢で同紙と話し合うべきだ。「抗議」するような筋合いの話しではない。)としているのですが,ここでも「日本側」という表現「のみ」が出てきます。直接の当事者である広島・長崎の被爆者ならば「抗議」する筋合いがあろうものですが,そういった一切合切を政府に矮小化し,さらに言葉遊びを絡めることで「日本」を揶揄し,自己の言い分を正当化しているわけです。
 ただ,今回の日本政府の抗議は,広島・長崎の被爆者の気持ちを「忖度」した結果行われたものであって,特に要請があったから動いたわけではないようです。また,普段自国の戦争被害には過敏でありながら,他国の戦争被害には鈍感であるという現政権の特徴を踏まえると,本来取り上げる価値すらなかった『環球時報』の社説の指摘が多少当たっている部分を持ってしまうという効果を生んでいます。日本政府が「迅速に動く」ことが失策につながっている例というべきでしょう(こうなると「拙速」と言うべきか)。


余談
 “神一样的逻辑”をどのように日本語に訳するか。私は「御都合主義」で十分だと思います。


参考
环球网:社评:抗议《重庆青年报》,日本太滑稽了
 http://opinion.huanqiu.com/editorial/2014-07/5056640.html (中文普通話)

XINHUA.JP:日本の中国紙への抗議は滑稽、中国侵略は美化しても原爆の「きのこ雲」は許さず―中国紙
 http://ww1.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/388603/

村野瀬玲奈の秘書課広報室:国家主義的日本人のメンタル面があまりにも弱すぎる
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5771.html

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