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zoom RSS 「7月1日」ですべてが完成したという考え方そのものに問題がある

<<   作成日時 : 2014/07/13 14:31   >>

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 集団的自衛権の行使容認の閣議決定は,いったいどのような問題を抱えているのかということについて,この閣議決定を支持する側も批判する側も,相手を説得する理論を持たない意見が多く見られるというのが率直な感想です。

 集団的自衛権の行使容認は,普遍的な問題として議論していないことが問題であります。
 例えば,「憲法9条が平和を守ってきた」というのは,残念ながら「自国のみの平和」を守ってきたものでしかなく,しかもそれが他国の軍事力に頼ることによってであったということに着目する必要があります。今後も非戦を訴えていくならば,軍事力に頼らずに他国を説得するにはどのように戦略を組み立てていけばよいのかを,現状に即した形で考えていく必要があるでしょう。
 逆に,集団的自衛権の行使容認は明らかに戦闘行為への参加機会を増やすわけですから,「専守防衛を貫く」日本がなぜそれをする必要があるのかということについての説明は,抽象的なものではなく,もっと具体的である必要があります。

 例えば,武力行使の新三要件を見てみましょう。

自衛の措置としての武力の行使の新三要件
○ 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
○ これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
○ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと


 さて,集団的自衛権の行使容認が絶対に必要だと言える理由はどこにあるのでしょうか。例えば,尖閣近海でアメリカ軍が中国共産党の人民解放軍から「領土の自衛」を理由として攻撃を受けた場合,日本は自衛措置で攻撃できるのでしょうか。できるのであれば,この三要件をどう解釈するのか(中華人民共和国が「自国防衛であって侵略ではない」と言った場合にそれをどのように否定し,「我が国の存立が脅かされる」ものと規定するのか:一番の問題は,人民解放軍が「アメリカ軍のみ」を攻撃対象とした場合),できないのであれば,集団的自衛権の行使容認の閣議決定は何の意味を持つのか(こういう時の為に閣議決定をしたはずなのに実際には役に立たないということになる),これはどのようにして解釈すればよいのでしょうかね。
 今後法整備があるのならば,法律の中身も含めて「集団的自衛権の行使容認」の妥当性が問われるべきであり,「これだけでは何も変わらないから問題ない」という意見は,詭弁で批判をかわそうとするものにしか見えません。

 「サソリが云々」と言っている人(最近本まで出したらしい)の動画で,内閣官房がこの問題に関しての一問一答をHPに載せていて,それで集団的自衛権行使反対派は論破されているということですが,その内容を見れば,抽象的で,とても批判に耐えられるものにはなっていないのです(動画を載せた人はよくこれで納得して「論破された」と言ったものだと思います)。
 この程度の認識で集団的自衛権の行使否認から容認に転じる閣議決定が為されているのであれば,それはやはり目的である「集団的自衛権の行使容認」を得るために手段を選ばなかったと言うべきでしょう。そして,手段を選ばないことは,それだけで非難されるべきことであります。

 いくつか内閣官房の一問一答を見てみましょう。(引用部分には斜体のタグをかけてある)
【問4】 なぜ憲法改正しないのか?

【答】 今回の閣議決定は、国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るために必要最小限の自衛の措置をするという政府の憲法解釈の基本的考え方を、何ら変えるものではありません。必ずしも憲法を改正する必要はありません。

 詭弁の一種ですね。最初安倍晋三は憲法改正から切り込んだのですから,この物言いは結果である「閣議決定」を正当化するために,後から付け加えたものでしかありません。

【問6】 議論が尽くされておらず、国民の理解が得られないのではないか?

【答】 この論議は第一次安倍内閣時から研究を始め、その間、7年にわたりメディア等で議論され、先の総選挙、参院選でも訴えてきたものです。5月に総理が検討の方向性を示して以降、国会では延べ約70名の議員から質問があり、説明してきました。今後も皆様の理解を頂くよう説明努力を重ねます。

 先の総選挙や参院選では「憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにします」と主張したのでしょうね。そんな記憶はとんとありませんが,おそらくそう言っていたのでしょうね。自民党・安倍政権の主張が「憲法改正」→「憲法96条改正」→「憲法解釈の変更」と変遷したという記憶を持っている人は,まぼろしでも見ていたということなのでしょうね。

【問12】 徴兵制が採用され、若者が戦地へと送られるのではないか?

【答】 全くの誤解です。例えば、憲法第18条で「何人も(中略)その意に反する苦役に服させられない」と定められているなど、徴兵制は憲法上認められません。

 「全くの誤解」と言っているにも関わらず,論拠は「憲法解釈」です。今回,「憲法解釈」を変更して「集団的自衛権行使」を認めておきながら,徴兵制にならない論拠を「憲法解釈」に求めるのは,完全な自家撞着です。憲法解釈を変更すれば「徴兵制は憲法上認められません」とはならないわけですから,これは「全くの誤解」ではないどころか,当然考えられる「次の一手」です。
 現に,自民党政権内でも,石破茂が以前「徴兵制は苦役ではない」と発言したことがあるのですから,(石破の真意とは関わりなく)今後「徴兵制は憲法上認められる」とする憲法解釈が出てきて,それを閣議決定で解釈変更することも,可能性としては十分考えられるのです(第一,今回の「集団的自衛権行使容認」もこの流れで決まったことを忘れるわけにはいきません)。



 さて,閣議決定を受けてさっそく動いたのが教科書会社です。次年度からの教科書に反映させるには,今から動いた方がよいということなのでしょうか。

 それに対してなぜか疑問の声が上がります。
 ただ,閣議決定によって一応なりとも政府の解釈は変わっているので,修正申請は当然の流れとみるべきです。ここでは「政府解釈の変更は拙速である」とか「安倍政権の閣議決定だけで憲法解釈を変更するのは適当ではない」とかの理由で,教科書の記述を修正しない方が問題となるでしょう。

 そもそも,以前から検定教科書は「政府見解を一方的に宣伝する道具なのです。今になって「教科書が日本政府の反民主的姿勢を民主的であるかのように幼い国民に対して宣伝する道具と化してしまいました」というわけでもないし,「明日の自由を守る若手弁護士の会」が言っているような「今年の1月17日、教科書検定の基準が変わった」ことによって,日本だけが改めてそのようになったわけでもありません。また,検定教科書が「政府見解を一方的に宣伝する道具」であるのは,別に日本だけに限ったものではないというのも事実であります。

 検定教科書に書かれた(検定教科書で描かれた)「政府見解」が唯一の見方ではなく,多様性のある視点を養成する必要があるというのであれば,知の養成,知識の養成を教科書のみに頼らない素地を作らなければなりません。「教科書に全てを頼る」教育ではなく,「検定教科書は政府が認めた一般的な見解に過ぎず,別の見方が存在する」という視点を身につけることで,「政府見解」に対抗していかなければならないのです。

 今回の「教科書の記述修正申請」は,教科書会社からすれば当然の流れであり,これをもって「教科書会社が今回の閣議決定を支持している」とか「教科書会社は記述の修正を強制されている」ととらえることは妥当ではないでしょう。
 今回のことが集団的自衛権行使に関する解釈の潮流を大きく変化させたことは事実であっても,それによる余波までをも「日本だけのこと」としてとらえてしまうのは,アンフェアなものの見方ではないかと思います。


 そして,問題を教科書という分野に矮小化してしまうことも避けるべきであります。一般に出版されるものの場合,日本の場合には「表現の自由」や「検閲の禁止」があるので,政府見解と異なる内容であっても,それを出版する自由があり,また内容が政府見解と異なることを理由にして,その本が「行政によって」出版停止に追い込まれることはないでしょう。
 また,例えば日本国内に“钓鱼岛是中国的”を大々的に主張する本を持ち込むことも自由であり,内容が政府の見解と異なることを理由にして「行政によって」没収されることはありません。

 このような自由は今後も守り続けなければならない大事な権利であることは言うまでもない訳ですが,逆は然りではないことに対しても注意が必要です。日本人が享受している自由や権利は,国外ではそうであるとは限らないのです。
 日本では「政府見解」を唯一の見方とせず、多様なものの見方を主張する自由がありますが,これの存在しない国もある(「国家分裂」の陰謀として刑事罰の対象となる国もある)ことに注意する必要があります。ですから,日本国外で自分に同調する世論があるからといって,外国政府の主導するものなのかどうかを考慮せずに支持してしまうことは,逆に多様なものの見方を制限してしまう可能性があることに配慮する必要もあるのです。


 余談ですが,「サソリが云々」と言っている人のように,自分にとって都合のよい「お花畑」だけを探してそれを批判することで自分の反対派が感情的で非論理的であると主張するのもアンフェアです。むしろ,自分と意見を同じくする人が「感情的で非論理的である」ときにそれを率直かつ(できるだけ)的確に批判することが求められているのです。
 私は常々「おそるべきは有能な敵より無能な味方」と言っていますが,集団的自衛権の行使容認の問題に関しても,おおむね同じ方向を向いている「無能な味方」を批判することに重点を置きたいと考えています(この記事がその趣旨に合致しているかどうかは議論の余地を残しますが)。


参考
内閣官房:「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の一問一答
 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/anzenhoshouhousei.html

村野瀬玲奈の秘書課広報室:教科書検定制度によって教科書は政府見解を一方的に宣伝する道具となりそうです (集団的自衛権)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5755.html

明日の自由を守る若手弁護士の会:閣議決定で教科書が変わる!?
 http://www.asuno-jiyuu.com/2014/07/blog-post_2655.html

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