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zoom RSS 「法相の判断」は尊重されるべきなのかそうでないのか

<<   作成日時 : 2011/11/24 11:25   >>

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 やはり産経珍聞はその名に恥じぬ「らしさ」を見せてくれます。


 産経珍聞は「オウム事件」の一連の裁判が全て集結したことを受け,「死刑確定囚の死刑執行は政治課題と化す」としています。MSN産経ニュースの記事でその理由が幾つか上げられているので,それを見てみましょう。

 教団信者では平田信容疑者(46)ら3人が特別手配中だが、「共犯者の逮捕前に法務大臣が命令した死刑執行は適法」とする判例がある。3人の行方に関する有力な手がかりは得られていない現状では執行へのハードルにはならない。

 死刑について、法務省はこれまで共犯者が公判中の場合に刑を執行しない運用をしてきたが、全員の判決が確定してしまえばこれを言い訳にできないからだ。

 麻原死刑囚は2度目の再審請求中で、ほかにも請求中の幹部がいる。再審請求中の死刑執行は極めてまれではあるが、請求中の執行例も過去に存在し、これも死刑を回避する決定的な要因とはならない。


 とりあえず「この事件での死刑確定囚を死刑にすることには問題が無いからとっとと死刑執行してしまえ」とでも言いたいようです。
 まあ法的には,死刑が確定した以上,執行するのは流れの中での手続きですから,それを言うこと自体は認められるべきでしょう。しかし,その主張を引き出している論理展開に問題があるとすれば,その限りではないのです。


 そもそも「平成21年9月の民主党政権発足以来、死刑に慎重な人物が次々に法相に就任し、執行は2人だけ」と書いていますが,2年2カ月で2人というのが少なすぎるという事を言いたいのでしょうか。
 そこで,ここ十数年の死刑執行数を見てみると,毎年数人,多い年には十数人となっています。Wikipediaでは1993年からの数字を上げていますが,これは1990年〜1992年に死刑の執行数がゼロだった(「無限回廊」の記事による)からでしょうか。
 そして,民主党政権発足以後の死刑執行となると,2010年に2人の死刑執行が為されて以後死刑執行が為されていないことになるので,このまま2011年内に死刑執行が為されずに年を越すと,2011年は19年ぶりに死刑執行数ゼロということになります。
 そう言えば,2006年12月25日に死刑が執行されたとき,「死刑制度の維持を確かなものにしたい法務省の強い意向」というようなことが言われました。産経の記事に「法務省内では「事件の首謀者である麻原死刑囚から執行を検討すべきだ」との意見も強まっている」とあることを見ると,今回も「>死刑制度の維持を確かなものにしたい法務省の強い意向」があって,それを産経珍聞が忖度してこの記事を書いたのでしょうか。


 また,「確定囚は120人を超え、戦後最大となった」ことと「オウム事件」の死刑確定囚の死刑執行が政治課題となることとに何の関連があるのかについては,全く述べられていません。確定囚(未執行)の数が問題となるのならば,べつに今回の事件の死刑確定囚に限ることはない訳で,他にも死刑執行するべきと考えられる事例はあるでしょう。しかし,今回の判決に乗っかり,それについてだけものを言うから,まるで今回の死刑確定囚の死刑執行が,死刑執行に関する最重要課題であるかのように見えてしまうのです。


 しかし極めつけはこれでしょう,「ただ、死刑をめぐっては、執行の可否や手順などの決定はすべて法相の判断に委ねられている」。言っておきますが,民主党政権下での「執行の許可をしない」という不作為も「法相の判断」であり,法相の判断が原則と一致しないことを問題としているのであれば,「自民党政権時代、鳩山邦夫元法相は幼女連続誘拐殺人の元死刑囚について、事件の凶悪性を考慮し、確定順を踏み越えて執行を命令した」ことも問題となります。何かを考慮していれば原則を破ることを認めるのであれば,死刑制度の存廃が議論されている現代にあって「死刑の執行そのものを考える」ことも認められなければなりません。

 産経珍聞は語るに落ちた訳です。法律の条文や原則からすれば,鳩山邦夫も民主党の法相もそれに外れているという点では共通しています。産経珍聞の評価は,それが自分にとって都合が良いか都合が悪いかで決まっていて,批判の根拠がそこにしかない訳ですから,何の正当性もないのです。まあ,全く論理がしっかりしていない状態で記事を書くから,こうなる訳で,「珍聞」の名に恥じぬものだと言えましょう。



 さて,ここから数行はあくまでも私の考えです。
 法は感情を持ってはならないというのが法治国家の原則でなければなりません。誰かにとって都合が良い,誰かにとって都合が悪い,誰かにとって爽快である,誰かにとって気分が悪い,そういったことで法やその解釈,その執行の態度が変遷することがあってはならないのです。

 産経の主張はその点を全く踏まえていません。自分にとって都合の良いときだけ法律を持ち出し,自分にとって都合の悪い法律に対しては頬被りする,このような態度は,法律に関わらない一般人が何の権力も持たない所で放言する場合には問題も無いでしょうが,媒体を通じてあたかも何らかの正当性を持っているかのように言い立てる場合には大きな問題となります。法律に死刑の執行について書いてあるから,それ以外の論理や法律はすっ飛ばして死刑を執行しろというのは,少なくとも言論人が取るべき態度ではありません。言葉を弄ぶ職業に就いているのなら,その点ぐらいは理解していてもらいたいと思わざるを得ません。


参考
MSN産経ニュース:死刑13人 野田政権は執行できるか 確定囚は120人超、いつまで「先送り」
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111121/trl11112122400008-n1.htm
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111121/trl11112122400008-n2.htm


mai:1年3ヶ月ぶりに死刑執行(4名)
※Yahoo!検索で上位にあって,当時の新聞記事の内容が詳しく説明(轉載)されているものを選んだ。
 http://tkmy.net/blog/personal/mai/archives/2006/12/13.php


無限回廊:死刑確定&執行数
 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sikeisuu.htm

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