Eric Prog

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<<   作成日時 : 2009/12/30 11:11   >>

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 以前「竹原は哲学など語れる玉ではなかった」と書きましたが,竹原が他の人の哲学をしたり顔で語っているのを見ると,さらにその思いが強くなります。つまり,竹原は他人の哲学を受け売りすることすらできる玉ではなかったのです。
 それと,最近竹原,突っ込み所満載になってきたなあ。そのうち乗り突っ込みし始めるんじゃないだろうか。まあ,何のことはなくて,元々「ネトウヨ」、「ネトサヨ」の類の論理しかないのだから,発言が増えてくれば必然的に相互矛盾するのです。


 12月28日付の記事「社会の現実」で竹原は以下のように書いています。
「結局、安心して過ごせる場所など何処にも無い。今、自分は傷つけられもせずに生きてはいるが、たまたま生き残らされているに過ぎない。」このように開き直れば、そこに安心している本当に自由な自分を発見できる。それに、もともと自分のものなど何も無いのだ。


 わーすごーい,また仏教思想の受け売りだー,しかも中途半端に。
 大体この人,受け売っている文章の内容を理解して使っているんでしょうかね。「安心して過ごせる場所」ってのはあなたがわざわざ引っかき回している阿久根市の,その市長の椅子のことですよ。別に市役所の中の「談合」に参加しろという訳ではないけれども,そういう「安心して過ごせる場所」に居ながら,人に向かっては「安心して過ごせる場所など何処にも無い」と開き直れと言っている神経をしている限り,受け売りの文章の中身が分かっているとは到底思えないんですが。
 自分で何言ってるのか分かっているのかどうかも怪しいところですね。「もともと自分のものなど何も無いのだ」と行政庁の長が言うな! 哲学者や宗教家が,人々の精神を豊かにしようということで,このように言うのは理解できるが,「自分のもの」(所有権)を認めている日本の法律の下で,行政に携わる者がこれを言ってみたところで,戯言(←「たわごと」と入れたらこう変換される。…「ざれごと」と読めるではないか,まあ似たようなもんか)の類でしかない。「宗教」とか「学問」とかいう「俗世間」から何らかの意味で離れた場所から発言するのなら,高みに立たれても我慢できる部分がありますが,行政府という「俗世間」の極に居ながらにして,このようなことを言われてもね,説得力無いって。まあ市長辞職会見(勿論再出馬とか轉身とか無し)でこういう事を言ってみるのなら,その時には説得力がほんのちょっと,本当に欠片と言っても良い位少しだけ…(以下略)。

 それに! 市長という職にある人が「安心して過ごせる場所など何処にも無い」ってのを引っ張ってきて貰っては困るのです。それは言い訳の先取りに過ぎない。自分の施政下で市民が如何に困ろうとも,こう言ってしまえば市民を煙に巻くことができる訳ですから,言い逃れ以外の何物でもない。この人は何か勘違いをしているとしか言い様がないですな。


 しかし,書いていてふと思った,個人的な考えと行政庁の長としての発言とがごっちゃになっていると,どちらのものとして読めば良いのか分からん。全てにおいて「これは個人的な意見だ」と言うのなら,無前提で阿久根のことに一切触れるべきではないし,「市長として当然の考えだ」と言うのなら,無前提で個人的な考えを書くべきではないね。そうしないと,都合良く逆の立場を持ち出して,責任逃れができてしまうのですよ(Weblogではないが,数年前に都合良く逃げを打ち続けた政治家が居たなあ)。Weblogで発言することの意味とか重要性とかが分かっているのなら,そう言ったところにも気を配っているはずなのですが,竹原の場合これが分かっているとは思えないんですよね。
 結局竹原はこんなところでも公私混同型,何が「ブログ市長」だ,色んな意味でWeblogに書かれてるだけじゃないか。


 …で,今回述べたのは「生き残らされている」ってことですな,しかも「たまたま」。…一体誰にだ,誰が生き残りの命を決めてるんだ。竹原の文章を見る限り,それは結局は人でしかないんじゃないのか。仏教思想での「生き残らされている」はそんな意味だったんだ,初めて知ったよ。
 そして,竹原本人はそのつもりだったのかも知れませんが,これ実は,かの「腐った枝の話」とは何の関連もない訳です。「腐った枝の話」は,如何にして命(「いのち」であれ同じ事だ)に価値付けをして,「腐った枝(=価値のない命)」を切り捨てていくことによって,残った命に経費を注ぎ込むかという事であって,その結果生き残った命がどのようであるかということには触れられていない。で,「腐った枝」と言って現に生きている命にさえも,自分が価値付けをしたということについての言い訳はまだか。
 今回は「腐った枝」を切り落とした後,その結果生き残った命がどのようなものかについて述べた訳ですが,「たまたま生き残らされているに過ぎない」のですと。何のことはない,「腐った枝の話」と矛盾していることが分かってないなこいつ。
 「たまたま」などと言ってしまっては,「腐った枝の話」で述べていた「選別基準」が意味を為さないではないですか。竹原は「腐った枝の話」は否定or撤回していないのですから,その結果残った命は「たまたま」残ったのではない,「腐っていない」(優良なもの)と判断されたから残ったのである。もし「たまたま」残ったのであれば,「腐った枝」が「たまたま」残ることや,「腐っていない枝」が「たまたま」切り落とされてしまうことも,「たまたま」起こる可能性があると認めなければならない。
 「腐った枝だから切り落とす」はずが「切り落とした枝は腐った枝だ」になってしまっていますなあ。それとも「切り落とした枝」はすべて「腐った枝」で間違いないとでも言うつもりでしょうか,それは「自衛隊が派遣される地域が非戦闘地域だ」と言ってのけた,あの首相と同じ論法ですな(前後の関係は「→」でなければならないのに,それを「=」で繋ぐから,前後を入れ替えても意味は同じと考えてしまう訳だ;「A→B」のときに「B→A」を言うのには証明を必要とするが,「A=B」なら「B=A」と言うのに証明は必要ない)。
 …ああ,結局竹原は他人の哲学を受け売りすることすらできる玉ではなかったのですな。


 それから,そのすぐ前で述べている「あらゆる公的組織は危険物ではあるが、最も危険なのは新聞などの報道で洗脳された大衆だという気がしている。」,何だ,分かってるのかと言いたいところですが,分かってないんだろうなあ。
 自分が「危険物」の最たるものであるって事も,自分を支持している人たちもまた最も危険な」ところである「新聞などの報道で洗脳された大衆」でしかないって事も。それに竹原自身も新聞などの報道で洗脳された大衆」っていう表現を安易に持ってくることで,既に「新聞などの報道で洗脳された大衆」の一部であることを示してしまっているって事もね。
 何が言いたいか,つまり,「新聞などの報道で洗脳された大衆」が自分でないって事を声高に述べている時点で,既にその人は「新聞などの報道で洗脳され」ているってことですよ,一般的な意味とは逆であってもね。


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 さて別の記事では,竹原は自分の息子に「働き以上の儲けを盗ってはいけない」と言ったらしい。だからそれ誰が決めるんだよ。自分が決められると思っているとしたら,自分持ちの企業でもないくせに,大きなお世話だとしか言い様がないし,自分の息子が決められるとしたら,それは感覚的なものとしか言い様がないですな。
 それと,懲戒免職の効力停止で出勤してきている公務員に対して,自分の都合で仕事を与えないでおいて,仕事してないから給料払わないなんてのは,「民間」でもやらない不法行為なのですが(何らかの要因で労働契約が無効になっても,その間の「労働に対する賃金」は無効にならないというのに),その点は完全無視ですか,御都合主義満開ですな。
 それは「働き以上の儲け」どころか,働きに対する「正当な賃金」すら払わないという事でしかないのであって,その金こそ,市が「働き以上の儲けを盗って」いるという証なのですがねえ(市役所の職員の労働を得ておきながらそれに対する賃金を払わないというのは,市として「働き以上の儲けを盗って」いるという事に他なるまい)。
 今一度言ってやる。不法に不法を以てするのは正義ではない。ましてや不法でないものに対して不法を以てするのは正義でなどあり得ない,と。

 そもそも私企業なら,「働き以上の儲け」というのは「不法利得」でしかないし(賃金は一応契約の下で決まっていることになっているから,不法に低いことはあっても不当に高いことはあり得ない。「不当に高い」と判断される場合があるとしても「一般的基準」との相対評価でしかないか,会社に損害を与えるなどして賃金を与えている「不法利得」でしかないのだ),公務員が「働き以上の儲けを盗って」いるという根拠もはっきりしない(「民間に比べて高い」はそれ単独では根拠にならないのだが。それ単独で根拠になると思っているということは,無批判的に「民間の給与は適正だ」と思っていることにもなるのだが,それだったら「最低賃金」の指標など要らないって)。
 果たして公務員は「働き以上の儲けを盗って」いるのか,将亦一般企業のサラリーマンが「働き以下の儲け」しか貰っていなくて,公務員は「働き以上の儲けを盗って」いるように見えるだけなのか,これすらはっきりしないのですが,竹原はそこには目が向かないらしい。それにバブル崩壊前にまで視点を戻せば,そのころは民間の方が「働き以上の儲けを盗って」いた可能性があるという事になるのですが,それも埒外で良いらしい。「変人」の割に,その点における「民間」への信頼は「普通」なんですな。あ,竹原は「普通」でしかなかった,「変人」ではなくて単なる「うましか」ですし。

 竹原が言いたいのは「サボらず真面目に働け」ということなのだ,などという擁護の意見は聞きたくもない。だったらストレートにそう言えば良いだけの話です。「儲け」とか「盗る」とかいう表現を使ってわざわざ言う事に何の意味がある? それこそ無駄なレトリックというものですよ。

 あ,でも竹原,「働き以上の儲けを盗ってはいけない。この国は泥棒政治屋と泥棒役人の方が多いのかもしれない」とも言ってる,何だ,分かってるんじゃないか。自分が「泥棒」だって事は。…え,それは分かってないのか,じゃあ救いよう無しじゃないですか。


 実は,竹原がその記事で書いている,自分の息子に言ったという話の内容を見ていて,正直反吐が出そうになったのです。何となれば,上に立つ者がこういう事を言う典型例を見たことがあるからですが(しかも自分は上に立たれる側だった。端で見ているだに気分が悪くなるというのに;その典型例も「モンスター」であったが:いやはや,それが首長になってなくて良かった良かった;でもまだその職場に居座っているらしい,職場にとっては困った困った)。
 まあ竹原の場合,自分の息子に言っただけならまだましだったのです。それと同じ事を自分の部下に言い始めているから質が悪い。上に立つ者が,自分の部下に対してこういう事を言うようになれば最悪なのです。その言葉を口から出した段階で,部下に対して「おまえは「一生懸命に働く人たち」には入っていない」,つまり「おまえはサボっている」と宣告したのと同じだからであります。そもそも自分の部下が一生懸命働いていると感じているなら,そのような言葉を口にする必要すらないのですから。しかも,より質が悪いのは,自分自身はその評価の対象になることから逃れられるということです。自分は批判されることなく,他人は好き勝手に批判できる立場,一体何様でしょうか,神様も同然の所行ではないですか(だから「俺様主義」か)。
 竹原がこのような「俺様主義」で行くのなら,「住民至上主義」の名を捨てて「俺様至上主義」とでもWeblogの題名も書き替えた方が良いでしょうね。それなら,賛同しないまでも,ほんのちょっと,本当に欠片と言っても良い位少しだけ…(以下略)。
 自分自身は「選挙」で評価されていると考えるのも,果たしてどうか,自分のしているのとは異なる基準でされている評価を,「自分も評価を受けている」と言う為に同列に並べているだけではないのでしょうか(選挙を出してくるなら,それとの引き合いに出すべきは公務員の選抜試験だろうよ)。まあ,「忘腐知事」←同音異義字を探した)も「暴徒知事」←適当に変換した)も似たようなものであるのですが(村野瀬が言っていることがそれなりに当てはまる時など,最悪だとしか言い様がないね),あの2人はまだ,庁内で自分の味方探しを諦めていない(と見える)分だけましか。



参考
住民至上主義:社会の現実
 http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20091228
住民至上主義:報酬を得る仕事
 http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20091227

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
実に面白いw(福山風に)

竹原のブログを読んでいて、どうにも違和感を受けた感覚が何故だったのか、少し解けた気がします。

このブログの12/24の記事に対する竹原からの返答はまだないようですね。
そりゃそうでしょうね(笑)
あの人、自分が中心に回りたい『俺様至上主義』ですもんねw
湯気
2009/12/31 01:02
>湯気 様
 コメントありがとうございます。
 竹原の言っていることに一分の理があるかも知れないと考えても,「自分に厳しくない(自分には適用されない)」点を考えると,違和感ありありなのです。

 竹原からの返答,…ある訳無いですね。
 でも竹原はあれ以降でも,自分に賛同するメールはどんどん公開してるんですよ。
 某小沢っていう人の掲示板もそうなっているという事ですが(数箇月前に1回見たことがありますが,某小沢への反対意見は一切載ってない),こういった人たち,自分に賛成する人だけを自分のコミュニティの一員として認めてやっているような感じがします。
 そんなコミュニティは「懐が狭い」ので,私としては「蒙御免」です。
Eric Prost
2009/12/31 08:57

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