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zoom RSS 「葛飾ビラ配布事件」に関して

<<   作成日時 : 2009/12/10 11:34   >>

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 東京のビラ配りについて,最高裁で上告が棄却され有罪確定となりました*。これを「言論弾圧」と捉えるのか「治安維持」と捉えるのかで意見が分かれるのでしょうが,どちらと捉えるにしても「相手の立場」を考慮して貰いたいですね。


 まず,如何に治安維持であっても,いきなり警察が出てきて逮捕しなければならないほど重大な事例に今回のケースが当てはまるのかどうかということですね。もし自分が逆の立場に立たされたとしたら,これをどう捉えるのかという観点からすれば,いきなり警察が出てくることに違和感を覚えるくらいの感覚は持っていて欲しいですね。
 荒川氏の場合は事前に苦情がなかった*訳ですから,いきなり刑事事件として立件できると考えるのも,ちょっとやり過ぎな気がします(検察審査会は「不起訴不当」を言うことは出来ても「起訴不当」言うことはできないのかねえ)。


 まあ私は,これが「治安維持」の範疇を超えた「弾圧」であると捉えられても仕方ないとしますし,そもそもこのような諍いに官憲が出てくること自体真っ平御免ですので,「治安維持」と捉える方々への要望は,せめて自分たちの話し合いで解決する努力を捨てないで欲しいという程度で終わります。
 今回の問題もそうなのですが,むしろ問題にしたいのは,自分と「偶々」考えの方向性が同じ側の馬鹿さ加減です。


 この判決を否定(言論弾圧と)する側は,ビラ配りが「表現の自由」の範囲内であることのみを強調し,そのビラを配られる側の立場について考慮した形跡が見られません。ビラを配られる住民がそれを拒否すること,また,いくらドアポストに郵便受けがあるからといっても,配る側の「勝手な論理」によってそこにまでビラ配りに入られることに対する拒否の感情に関してもまた,「自由」の範囲内で認められるべき事なのです。それに対する配慮を欠いた行動と言わざるを得ない今回の荒川氏の行動については,否定派からも非難されなければなりません。
 その上で,この件が刑事事件となる程の重大な違法行為であるかどうかということに言及して貰わなければならないのですが,自分たちの権利のみを主張し,更には外国の事例を持ち出して日本を難詰する,そのような姿勢に辟易した人も居るのではないでしょうか。

 如何に表現の自由が尊重されるべき権利であると言っても,また如何に「ビラお断り」の張り紙が法的に無効であるとしても,マンション住民の「総意」として出されている「ビラお断り」に対して,配慮する必要はあったでしょう。
 また,どうしてもドアポストまで行って投函したいのなら,その旨をマンションの管理組合に掛け合って了解を貰うべきだったでしょう。その努力をどこまでしていたのか,何もすることなく投函していたとすれば,何らの努力もしていない訳ですから,何の配慮もしていないということになりますし,掛け合って断られ続けていたのに投函し続けていたとすれば,これまた問題となります。自分の主張を押し通すのは斯くも難しいものなのですが,その辺り荒川氏はどのように考え,また自らの政党の主張を配られている日本共産党(あるいはその区議団)はどのように考えていたのでしょうか。


 さて,日本国民救援会が出している声明の以下の部分には見るべきものがあるでしょう。「市民感覚に真っ向から反する」という部分は留保する(同意しない)として,そのほかの部分で述べられているのは結構重要だと思います。
 これにたいして、検察側申立てによる控訴審では、この判断をくつがえす立証はなされなかったし、公判を通して、荒川さんがマンションに立ち入りビラを配布した行為により、住民の財産権が侵されたなどの事実は示されなかったにもかかわらず、東京高裁は、「たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権などを不当に害することは許されない」として独断的に事実を認定、解釈して、荒川さんを有罪とする、市民感覚に真っ向から反する不当判決を出した。

 つまり,財産権の侵害は「事実」を以て行うのではないということを高裁が認め,最高裁はそれを追認した訳です。さらに言えば,共用部分に対する「侵害」は,一部住民が訴え出れば,それで成立するということにもなるでしょう。
 これが認められると,あくまでも可能性のレベル*ですが,ある住民の客として来た人が住居の共用部分を通ったということで別の住民が警察に通報した時,その客を逮捕できる可能性があるということになる訳ですね。そこまで警察は判断できるのでしょうか,むしろ警察が「自分たちの目線」でしか判断できないのは目に見えてますね。だとすると,こういうのも警察の主観と合わなければ犯罪として認識して貰えないということですね,こうなると既に法治国家ではありませんよ。だから官憲がしゃしゃり出てくるような事例ではないというのですよ。


 まあ,こんな物言いもあるので,全ての最高裁批判が見るべきものだとは限らないのですがね。
 村野瀬は「黙って紙をポストに入れるのと、呼び鈴を鳴らして「xxx新聞をとっていただけませんか」とかインターホンで呼び出すのと、どちらが「私生活の平穏」を侵害するのですか」とか「市民を有無を言わさずに呼び出して「裁判員制度」という名の裁判ショーに強制的に参加させるのと、共産党の区議団便りがポストに入れられていて読んでもいいし無視してもよいのと、どちらが私生活の平穏を侵害するのですか」とか書いていますが,これは間抜けた発言です。主観に関わることなので人によるのですが*,「黙って紙をポストに入れ」られる*だけでも「私生活の平穏を侵害」していると考える人も居るのですから,「どちらも」その可能性があることは論を俟たないのです。
 また,「自分の家の前を自分の気に入らない人が通る」だけでも「私生活の平穏を侵害」したと考えるような人だって居ておかしくない訳ですから,「共産党の区議団便り」を「集合ポストではなくドアポストに入れること」がどのように捉えられる可能性があるのか,こういったことを想像する必要はあるでしょう。
 その上で「それでもやる」のなら,それを批判されることは覚悟しなければならない,少なくとも「表現の自由」を行使しているから「全く正当である」とは言えないことくらいは理解しているのでしょうから,それについてこのような間抜けた発言をしている暇があったら,その傍らででも荒川氏の行動がどのように批判される可能性があるのか位は考えてみても良かったのではないでしょうかね。



 今回荒川氏が配っていたのが「共産党の区議団便り」であったことによって,ビラの内容によって逮捕されたのだという推測が為されています。ビラの内容によって逮捕・起訴・有罪となったのかどうかについては,まだ2例なので何とも言えないという結論になるでしょう(従って現時点で「弾圧」というのは邪推だという批判もあるでしょう)が,そう推測されるような法の適用をしていること自体が問題だということですね*。以下,代表的(と私が考える)Weblogから拾ってみます。

Afternoon Cafe:裁判所を「権力の番人」から「憲法の番人」にすることが本当の「司法改革」では?〜葛飾ビラ配り有罪判決
商業チラシはスルーで政治ビラは取り締まりの対象にするということは、立川ビラ配り有罪判決と同様、明らかに政府に批判的な言論をねらい打ちにした露骨な弾圧です

大脇道場:NO.1472 「国際社会での『常識』が問われている」 葛飾ビラ配布弾圧事件 最高裁不当判決
ポストには、いろんな商業用のチラシが入っています。これらも犯罪だとして取り締まると言うのでしょうか。国民の素朴な疑問に判決は応えていません。弁護団が「本件があからさまな共産党弾圧であることは明らか。司法の名でこれを容認するのか」と厳しく指摘したのは当然のことでしょう

たかしズム「ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥」を語るための、たかしのブログ:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
これは明らかに共産党への弾圧である。もし配っていたのが公明党のビラであったならば、逮捕も起訴もされなかったはずである

 事が刑事事件なので,このような物言いが多数出てくるのは必定なのでしょう。そして,この物言い自体は決して間違っているとは言えないでしょう。しかし,批判はそこで止まるべきでした。もしくは,他に波及する事への影響についての話題へと敷衍するべきでした*。

 声を大にして言って貰いたかったのは,この判決が他のビラ配りに及ぼす影響です。この判決だけでは「全てのビラ配りの為の立ち入りが住居侵入に当たる」とまでは解釈できないかも知れませんが,どこまでが「住居侵入罪」になるのかという線引きが為されておらず(具体的事例がないのですることはできない訳ですが),今後もこのようなことで具体的な事件が起こらない限り判断されない訳です。そもそも判例の当事者として有罪になるのは誰だって嫌な訳ですから,萎縮させる効果は十分にあるでしょう。でもそれが果たして健全な社会の発展の為になるのか,もしかしたら単なる警察の省力化の片棒を担いでいるだけではないのかということについて考える機会とするべきということでしょう。

 但し,前回立川の事件の時に何故他の人が立ち上がらなかったのか,それを「無関心」とだけ捉えていると,自分たちが落とし穴に填ることになります。立川の時の被告にせよ荒川氏にせよ,「自分は無罪ではない」ことだけを主張して,自分の行為がもしかしたら他の人にとっては迷惑なだけかも知れないという思想がまるで出ていないのです。官憲が乗り出してくるようなことではなくても,もしかしたら自分たちが正しくないかもしれないということについて,自分たちの手で徹底的に究明してから,こういう事を言って貰いたいのです。
 あなた方は決して「正しく」はない


 そもそも一審の無罪理由も走ってますけどね。asahi.comには「マンション内に立ち入ってビラを配ることが、当然に刑罰をもって禁じられている行為であるとの社会通念は確立されていない」と,janjanには「近時のプライバシー意識、防犯意識の高まりを考慮しても、現時点では、各住戸のドアポストに配布する目的で、昼間に居住用マンションの通路や階段等に短時間立ち入ることが明らかに許容されない行為であるとすることについての社会的な合意が未だ確立しているとは言い難い」とあります。これの言うところは結局,社会通念が確立されていると判断されれば有罪な訳ですね。現在高等裁判所や最高裁判所は警察と一体となって,判例で以てその社会通念を確立しようとしている訳ですから,このような事例があと何件か積み重なれば,この無罪判決を出した裁判官も同様の事件に対して有罪という判決を下すことになる訳ですね。
 そもそも荒川氏にしてもその弁護人にしても,日本弁護士会や共産党にしても,今回の荒川氏の行為について,それが犯罪になるという社会的合意が確立されれば,有罪になっても仕方ないと考えるのでしょうか。そう考えるのだとするならば,今回の最高裁判決を受けて出しているコメントとの辻褄が合わないですし,そうは考えないのであれば,地裁の無罪判決を聞いても安穏としていられる筈がないのですが,asahi.comによれば荒川氏は一審判決を聞いて「両手を挙げて喜んだ」訳ですね。asahi.comが誤報しているのでもない限り,この人も相当な間抜けではないでしょうか。


 まあこの件については,「弾圧された」側になる日本共産党もいっちゃってるので,もはや対処のしようがなくなっているんですけどね。
 2009年12月1日付「しんぶん赤旗」webには,この判決に関する記事が複数ありますが,そのうち2つの記事にある表現を見てみれば,如何にいっちゃってるか分かろうものです。
 僧侶の荒川庸生さんは2004年12月、日本共産党の「葛飾区議団だより」や区民アンケートなどをマンションのドアポストに配布しました。この行為は一般に市民が普通にやっている当たり前の行動であり、マンションの廊下や階段などを通ったことが住居の平穏を侵害する犯罪などではないことは誰の目にも明らかです。

 一審は無罪、二審は有罪。最高裁が「憲法の番人」として求められていたのは、表現の自由と民主主義を守って無罪を言い渡すことです。国民常識に反した今回の判決は、きびしく批判されなければなりません。(主張/葛飾ビラ配布事件判決/これが「憲法の番人」なのか)

 市田氏は、「マンションの廊下や階段を通ることが生活の平穏を侵害する犯罪でないことは誰の目にも明らかだ。国民の常識に反した今回の判決は、自由と民主主義、人権の点から厳しく批判されなければならない」と強調。「マンションの管理組合がビラ配布の禁止を決めた事実はないし、そもそも憲法が保障する表現の自由を管理組合が禁止できるという考え方が誤っている」とのべました。(きわめて反動的な判決/葛飾ビラ配布弾圧で市田氏)

 赤旗のこの記事を見て,どこまで手前味噌なのかと突っ込みたくなる人も居るでしょう。確かにずっと書いているように,これが刑事事件として争われなければならない重大な案件なのかについては私も疑問を持っていますし,本来民事で解決するべき事だとは思いますが,こういう風に当の共産党に書かれると,共闘しようなどという気は全く起こらなくなります。
 市田は「マンションの廊下や階段を通ることが生活の平穏を侵害する犯罪でないことは誰の目にも明らかだ」と言っていますが,立川の事件では警察に通報されていて,今回も産経によれば住民から通報されている訳ですから,結局それは「誰の目にも明らか」ではなかった訳ですね,残念ですねえ。
 で結局,「誰の目」って「誰」の目なのですか,「自分の身内」のことでしかないのではないですか? そして,赤旗の言う「国民常識」とは何なのですか,「国民」の常識,それとも「世界における国民というもの」の常識? 自分にとって都合良い者のことだけを取り上げるのは,あなた方の逆をやっている人たちと同じって事ですよ。

 それとね,市田氏はこうも述べているらしいですから,「また、この判決は国民の目、耳、口をふさぐものであり、他の分野に広がらないよう世論を喚起していく必要があると指摘。「政治的立場を問わず、こういうことが許されていいのかと警鐘乱打し、世論を広げたい」とのべました」,つまり共産党はこの問題について,政治的立場を捨てて共闘してくれるって事ですか,…よく言うよ。


 また,支援者であるにせよないにせよ,赤旗や自由法曹団のような書き方をして,世間を納得させられると思っているのもまた奇妙なものです。

 「とりわけ荒川さんが行ったビラ配布は、都議会、区議会の現状や議員の活動を有権者に知らせ、住民要求を集約するもので、民主主義と地方自治を支える重要な活動です」(日本共産党「しんぶん赤旗」:主張/葛飾ビラ配布事件判決/これが「憲法の番人」なのか)

 「荒川氏の本件マンションへの立ち入りは、議会報告や区民アンケートを配布するという正当な目的のものであり、極めて穏当に、かつ、心を込めてビラを配布していたに過ぎなかった」(自由法曹団:「葛飾ビラ配布弾圧事件につき荒川庸生氏の無罪判決を求める決議」)

 刑事上の正当性ならともかく,マンションへの立ち入りが正当かどうか,決めるのはマンションの住民(の総意)であり,配る側ではありません。また,一見して「重要な活動」であるとか「極めて穏当に、かつ、心を込めてビラを配布」しているとか分かる根拠は何でしょうか。自分はそういうつもりであっても,相手がそう思ってくれるとは限らない訳で,そこに対する想像が欠けているのではないかと疑わざるを得ません。
 こういう考えの中で「とりわけ」とか「極めて穏当に、かつ、心を込めて」とまで言われると,自分の主観を相手に押しつける格好になる訳ですから,非支援者としては見ていて気持ちが悪くなります。
 このような,自分たちの正当性のみを訴えたり,「どちらが「私生活の平穏」を侵害する」のかというような比較論にすり替えたりするようなのは,詭弁と言っても過言ではないでしょう。このような論しか弄することができないから,自分たちが叩かれているのだということをもっと意識すべきでしょうね。



 しかしまあ,こうなると話の流れは「所詮共産党の問題」と言うことになるのですが,例えこれが「所詮共産党の問題」でしかないとしても,波及する可能性を考えると,「共産党」を「自分」に置き換える想像力(創造力?いや塑像力か?)くらいは持っておきたいところです。
 大脇道場に「「あれは共産党の問題だ」とするところから「ニーメラー牧師の後悔」が始まるでしょう」という記述があります*が,当の共産党が「あれは共産党の問題だ」としている限り,非共産党サイドは共闘のしようがないと言わざるを得ないのです。
 おそらくそうではないという反論があるでしょうが,共産党がこれを「国民全体の問題」として考えるという立場を取るのなら,まずは「共産党としての立場」を捨てて貰いたいのです。共産党という立場からしかこのような問題を考えないということであれば,その時点で共闘などできません。
 この件が「共産主義者に対する弾圧」であったとしても,弾圧された側が自分たちの正当性のみを主張し,「ビラの配布という表現の自由の行使の為なら,如何なる拒否反応があっても,誰でもどこにでも立ち入って構わない」という立場だけを強調する赤旗などの姿勢を鑑みれば,ビラを配られる側になるかも知れない身として,手放しで「共産主義者」を応援することはできません。
 そもそも「ニーメラー牧師の後悔」をしない為に共闘するとしても,私は共産党に協力するのではありません。人として当然持つべき権利の為に,偶々同じ道を歩むに過ぎないのです。なので私は,共産党が共産党としてその立場からのみこの問題を捉える限り,共産党およびそれに与する者たちとは共闘できませんと言わざるを得ません。


 まずはビラを配った荒川氏自身が,自分が立ち入ったことによって住民の間に生じた(かも知れない)進入*されることについての恐怖心について配慮することが必要だったのかどうか総括するべきです。そして通報する人が居た以上,如何に正当な活動であっても,恐怖心を煽る結果となったことについて自己の行動を省みる必要があるでしょう*。そういうことをやってから,改めて自分の行動が全く問題でなかったというのであれば,活動を続ければ良いでしょう,何か問題があるということであれば修正を施せば良いのです。
 asahi.comで上げられている荒川氏のコメントで,「最高裁判決によって、ビラ配りはいつでも摘発できることになってしまう。今でも政治的であれ商業的であれ、ビラは配られている。最高裁はこの現状をどう見るのか」というのは確かに批判として頷けますが,「たかがビラというが、国民が持つ訴える権利や知る権利のため、ビラという形を取らざるを得ないことがある。今後もビラを配り、受け取る権利を守っていきたい」というのは,言わんとすることは理解できても,全面的に同意しかねるというのが率直なところです。「ビラを配り、受け取る権利」を問題にするのなら,その対面にある「ビラを配られず、受け取らない」のもまた権利であることも考えて欲しかったですね。
 民主社会は成員の権利同士がぶつかり合う時,当該成員同士の折衝によって問題を解決するべきであり,官憲がノコノコと乗り出してくるべきではない,とでも言って欲しかったのですが,そうは考えていないということなのでしょうかね。


 結局の所,如何にこの件が「表現の自由」にとって大きな問題であり,如何に非共産党員が「ニーメラー牧師の後悔」をしないようにする為に共闘するべき問題であるとしても,当の「弾圧された側」が「自分たちの問題」としてしか捉えないということであれば,非共産党員は共産党員とは別に行動を起こす必要があるということになります。そして,これを「自分たちの問題」としてしか捉えない共産党を(場合によっては「弾圧した側」よりも激しく*)批判する必要があるのです。


 最後に私が取り上げたいWeblogを2つ。
 憲法改正社は「畢竟、今回の事件は「自由の抑圧」の問題ではない。裁判では管理組合側が被害者であり、無断侵入者が加害者であると認められたというだけのことだ」としています。その考え方はその通りであり,これを問題にすること自体で即「自由の抑圧」にはならないというのは納得できます。
 しかしだからと言って,「一発レッド」で官憲が乗り出してこなければならない問題かというと,それは疑問でしょうし,こうも簡単に官憲が乗り出してくることに対する危機感の表明がないことには疑問を持たざるを得ません。
 あと,これはどうかと思いますね。「「自由への抑圧」とは管理組合がビラ配布の禁止も宣言しておらず、住民から苦情もないのに公権力によって拘束されるような場合のことを言うのである。」,これ,「当然に無効」な宣言,「誣告」,「公権力による教唆」などの可能性が排除されていませんか。宣言も苦情も「当然に正当」とは限らない訳で,それを考慮に入れないと,此処まで簡単に結論は出せないでしょう。
 まあ,憲法改正社の「有罪判決が「正当」か「不当」かを論じる前に、上記無断進入行為が迷惑行為であるという社会通念だけは共通認識としたい」というのは,「一般的に」という語を入れた上*でその通りだと思いますから,荒川氏の支援者はこれにどのように反論できるかを考えて頂きたいですね。

 憲法改正社と同じような感覚でありながら結論が別になっているのがAli della liberta (in Stadio)の記事です。「確かに、マンション管理者の立場で「ビラお断り」と書いてあっても「配布を強行した」というのは、道義的にいかがか?という部分もある」としながらも,「改めて「ビラを配る」だけの事に「有罪」と判断されるのには、やはり違和感を感じざるを得ないような、そんな感じ」がしているそうで,その点では私と感覚が近いのかなと思います。

 こういうのを見ると,「単なるビラの配布」が,場合によっては「迷惑行為であるという社会通念」とか「道義的にいかがか?」とか思われるような行為になり得ることについて,ビラを配布する人には考えて貰わないとならないということが,既に「やっぱりそうか」のレベルになっていると思わざるを得ないのですよね。


 そして何にしても,批判者とか非支援者からこういう事を先に言われるようでは終わっているのですよ,支援者の中の人!*




* しかしこれ,確定した刑は「罰金」である。罰金の為に逮捕・拘留して起訴する必要が本当にあったのかというのは疑問視されて然るべきである。
* asahi.comは「(荒川住職の場合は)事件前に苦情を受けていたわけではなく」としているが,産経は「警察に通報した住民がいたことも間違いない」としている。両方とも正しいとすれば,住民の側が荒川氏に「一発レッドカード」の扱いをし,それを警察は追認したということになる。民事不介入を標榜して必要な時に刑事事件としての措置を執らない割に,こう言う時だけ即刑事事件にしたがる警察にも頭が下がる。
* 可能性のレベルでしかないといっても,その可能性があるということは,他を萎縮させるのに十分な効果を発揮するので,小さな可能性であっても掘り下げることは決して無意味ではないと考える。
* 主観に関わるからと言って無効とは限らないことは,「セクハラ」を認めている村野瀬にとって自明であろう。
* 村野瀬は「ドアポスト」である点を書いていないが,集合ポストではなくドアポストであるという点は当然考慮されるべき事である。
* 他の事例での逮捕が全くないということでもないようであり,この辺りの評価は難しいものがあるのは確か。しかし,共産党を異端視して狙い撃っているようなイメージを持たざるを得ないような形になっているのも確かだろう。
* その意味では「たかしズム」や「大脇道場」の書き方で止めておくべきであった。「村野瀬玲奈の秘書課広報室」や「Afternoon Cafe」の書き方は言い過ぎて自壊している。
* 「ニーメラー牧師の後悔」は「たかしズム」でも一部紹介されている。
* 犯罪にまで至るかどうかを問題にしない意味なので「侵入」ではない。
* 総括と自省は既にやっているのかも知れない。その上でこの態度だとすれば,それは「救いようがない」のかも知れない。
* 「偶々同じ道を歩む」からこそ,同じ道を歩まない者よりも厳しい姿勢を示すのは当然の事である。
* しかし「社会通念」はそもそも「一般的なもの」なので,改めて入れる必要のない語かも知れない。
* だから私はこういうのと無条件に共闘する気が起きないのである。自らへの「正しさへの問い」がないのは「売国奴を大量生産するような言説」(人を簡単に「売国奴」認定するような言説のこと)を暴発している輩と同じであるから。


※ 荒川氏の行為は官憲に対しては「正当で無罪」なものでしょうが,マンション住民との間では「不当」な場合もあったのではないでしょうか。それを考えることなく,単に「無罪である」事だけを声高に述べ立てられても,辟易せざるを得ないのです。
※そもそも「知る権利」というのは「知らない権利」と一対になっていないとおかしいのです。ある情報を知る権利があるならば,ある情報を無理矢理知らされない権利もある訳で,その意味においてビラの配布を拒否する権利はあるのです。実際には「この家(部屋)だけビラを配らない」という選択肢を採らない(ビラを配る側にとって意味がない)ので,ビラの配布拒否要請が無視されることになる訳ですから,それは「私生活の平穏を侵害するもの」と捉えられる可能性はあるのです。それにも配慮した上でビラ配りは行われて欲しい。
 しかし,それを「過保護」することによってビラ配りが「刑事で違法」とされることはあってはならないのです。本来その折衝は民事で行われることでしかないのですから。
※まあ,「ニーメラー牧師の後悔」を持ち出した場合,批判されるべきは何となくこの判決に違和感を感じながらも自分のことではないからどうでも良いと考えているような人たちということになるでしょうが,この判決を完全肯定する人たちへの批判として持ち出すべきは「自由からの逃走」でしょうかね。
 「自由には責任が伴うのだ」と偉そうに言う人たちは,責任負うのが嫌で自由からも逃走するのか,またそれによって来る「自由が去った後の社会」に耐えられるのかと(私は到底耐えられない;そんな根性無い:それなら自由に伴う責任を負う方を選ぶので,例えWeblogででも声を上げるのです)。



参考
判決文
最高裁判例―事件番号:平成20(あ)13、事件名:住居侵入被告事件、裁判年月日:平成21年11月30日、法廷名;最高裁判所第二小法廷、裁判種別:判決、結果:棄却
 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20091204185218.pdf (pdfファイル)

マスコミ記事
asahi.com:「今後もビラを配り受け取る権利守る」 上告棄却の被告
 http://www.asahi.com/national/update/1130/TKY200911300263.html
 http://www.asahi.com/national/update/1130/TKY200911300263_01.html
毎日jp:共産党ビラ配布:有罪確定へ「私生活の平穏、侵害」
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091130k0000e040045000c.html
MSN産経ニュース:【政党ビラ配布裁判】表現の自由、権利行使に配慮を
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/091130/trl0911301227002-n1.htm

その他団体
JanJanニュース:「葛飾・ビラ配布事件」最高裁に弁護団が判決日延期申し立て
 http://www.news.janjan.jp/living/0910/0910080339/1.php
JanJanニュース:「葛飾ビラ配布事件」最高裁・判決文の真相
 http://www.news.janjan.jp/living/0912/0912033969/1.php
自由法曹団:葛飾ビラ配布弾圧事件につき荒川庸生氏の無罪判決を求める決議
 http://www.jlaf.jp/jlaf_file/091026katsushikajiken-ketsugi.pdf (pdfファイル)
日本共産党「しんぶん赤旗」:主張/葛飾ビラ配布事件判決/これが「憲法の番人」なのか
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-01/2009120102_01_1.html
日本共産党「しんぶん赤旗」:きわめて反動的な判決/葛飾ビラ配布弾圧で市田氏
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-01/2009120102_03_1.html
日本国民救援会:葛飾マンションビラ配布弾圧事件における市民常識に背を向けた上告棄却に抗議する
 http://www.kyuenkai.org/index.php?%B3%EB%BE%FE%A5%DE%A5%F3%A5%B7%A5%E7%A5%F3%A5%D3%A5%E9%C7%DB%C9%DB%C3%C6%B0%B5%BB%F6%B7%EF%A4%CB%A4%AA%A4%B1%A4%EB%BB%D4%CC%B1%BE%EF%BC%B1%A4%CB%C7%D8%A4%F2%B8%FE%A4%B1%A4%BF%BE%E5%B9%F0%B4%FE%B5%D1%A4%CB%B9%B3%B5%C4%A4%B9%A4%EB
日本弁護士連合会:表現の自由を確立する宣言〜自由で民主的な社会の実現のために〜
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2009_2.html
日本弁護士連合会:葛飾ビラ配布事件に関する日弁連コメント
 http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/091130.html

Weblog
Afternoon Cafe:裁判所を「権力の番人」から「憲法の番人」にすることが本当の「司法改革」では?〜葛飾ビラ配り有罪判決
 http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-416.html
Ali della liberta (in Stadio):改めて「有罪」と言われると違和感を感じる 〜葛飾政党ビラ配布事件〜
 http://giocatore.blog9.fc2.com/blog-entry-3466.html
大脇道場:NO.1472 「国際社会での『常識』が問われている」 葛飾ビラ配布弾圧事件 最高裁不当判決
 http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1522.html
憲法改正社:ビラ配布事件は論理的に思考せよ
 http://constitution.blog109.fc2.com/blog-entry-247.html
たかしズム「ネトウヨ、バカウヨ、ネット右翼、恥さらし、売国奴、日本の恥」を語るための、たかしのブログ:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 http://takashichan.seesaa.net/article/134851516.html
村野瀬玲奈の秘書課広報室:「東京・葛飾ビラ配布弾圧事件」最高裁不当判決。国連・自由権規約委員会の勧告に照らしてもひどい。
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1534.html

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