Eric Prog

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zoom RSS せんたくてきせい

<<   作成日時 : 2009/10/29 23:50   >>

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 民主党が政権を取って以降「選択的夫婦別姓」というのがまた俎上にやってきました。

 「夫婦別姓は離婚を増やす」という議論に対しては,非常に面白い分析が上がっています。明治以降,例外なく「法律上の婚姻関係において、離婚に至ったカップルはすべて同姓」だったのだそうです。
 こういう「至極当然の事」は忘れられ易い為に,指摘されると改めて気が付くという事になりがちですが,出来るだけこういう事を忘れないようにしたいものだと思います。

 そして,これを「選択的姓」と呼ぶ人が居たので,今回は「せんたくてきせい」について考えてみるという事で。


 最初は「選択的姓」について。
 まあそもそも「夫婦別姓が離婚を増やす」という前提の裏には,夫婦別姓を選ぶ「バカな嫁」*1は夫と「一つの家族」を形成していこうという意識が低く,自分勝手で,何か不満な事があると我慢できずにすぐに逃げ出すように離婚するような奴で,離婚した時に自分が被る不利益が嫌だから夫婦別姓を選ぶのだ,みたいな凄まじい偏見があるのであって,そもそも同じような夫婦を取り上げる気がない(「ある夫婦が結婚後同性で生活するのと別姓で生活するのとで,どの程度離婚する確率が変わるか」といったような命題はない)のですから,信頼性がないのは当然の事です。

 また,夫婦別姓によって,生まれてくる子供は両親の姓が違うという現象に直面し,それに違和感を抱いて「不幸せだ」とする意見もあります。しかし,分かってないなあと思うのは,この現象を構成しているのは周囲の人による「不幸せだ」という言説であるということをすっかり忘れているという事です。
 「お父さんとお母さんで姓が違うなんて,あなたの所はかわいそうね」等のように,夫婦同姓を当然とする考え方で(これを自分が持つのは勝手であるが),人の家を判断して価値付けして,それを押しつける人が多数居る事によって,不幸せにされてしまうのです。
 例え最初自らが不幸せに思っていなくても,「拒絶不能の不幸せ感」を押しつけられてしまう事によって,最終的にそう思い込まざるを得なくなってしまい,実際不幸せになってしまうという事例の発生が,この意見に現実味を持たせる訳ですが,これでは「予言」が実行される為に陰で実力行使をしているような集団と同じではないでしょうか(しかも夫婦同姓を前提とする行政の婚姻制度がそれに拍車を掛けている)。

 それにしても,父と母で「せい」が違うから不幸せなんだとするならば,父と母で「性」の違う私の家は,全く不幸せだったことになるんですがね,そこんとこどうなのよ。
 そもそも「せい」で結婚する相手を選ぶというのも,なかなか色々と可能性を狭めているのだなあという気もしますが,色んな意味で可能性を狭めている私の言う事でもないか(ちなみに私は「女らしさ」が好きなのではなく「女」が好きなのであって,小林よしのりみたいな「女より女らしい」とかいうのに意味を持たせようなどとは思っていない)


 しかしまあ,「婚姻」というのは1つの制度として捉えられているものであって,婚姻関係にない男女が一緒に暮らす事(同棲)が一般的に認められていれば,婚姻しなくても本来問題はないのです。しかしながら,そもそも婚姻が両性の合意*2のみで成り立つのであれば,何故わざわざ国に認めて貰わなければならないのでしょうか,という疑問は常に持つべきかも知れません。

 ただ本来,婚姻は制度として行政が決めているものですから,その制度が肌に合わない人は制度上の婚姻などしなくても良い訳で,本来婚姻制度で夫婦別姓を認めるか否かなどということは,問題になるはずもないものなのです。
 つまり,行政の設定した形の婚姻をしたくない人は,別に行政に認めて貰うような婚姻をしなくても良いよというのが制度上の婚姻の形なのですが,ここに大きな問題が存在するというのが今の日本なのです。

 今の日本では,制度上の婚姻関係にあるかないかで扱いを変える(婚姻関係にない者に対して非常に不利な扱いをしている)故に,不利な扱いを受けないように自らの望む婚姻の形を曲げてまででも婚姻しない訳にいかないという流れになっているように思います。
 これは大きな問題を含んでいます。本来は両者の合意のみで婚姻できるはずなのに,婚姻するに当たって色々な制約が掛かっている*3訳です。行政サイドからすると「制度だから」と言いたいのかも知れませんが,婚姻を制約するような要素を行政が掛けておきながら,婚姻していない人に対して不利な扱いをするというのは,自由恋愛を認めているのに自由な恋愛の結実を認めていないという事で,実際には本末転倒なのです。

 本来こうするべきなのではないかと思う事としては,「婚姻したい人に婚姻させる事及びそれに伴う施策(例としてその間にある子供に対しての施策:親が夫婦同姓を選ぼうが夫婦別姓を選ぼうが,子供に対する施策がそれによって変わる事は許されないから;あと配偶者に関する基本的なものも此処に含めた方が良い;よって現在行われているほとんどの施策は此処に含まれる)」と「行政が望むスタイルの婚姻をする人に対しての施策(例えば「夫婦同姓手当」などでも付けて「夫婦同姓にしたら得しますよ」的なものを付ければよい)」とを分けた形での行政というのはどうでしょうか。

 なので,いっそのこと婚姻を2段階制度にすれば良いと思うのです。1段階目は婚姻を宣言するという事で,「我々は結婚しました」的な宣言をしてもらう段階。但し条件として,婚姻関係上基礎となるような制度上の恩恵はこの1段階目で全て与えてしまう必要があります*4。そして行政の望むスタイルの婚姻関係を結ぶ人に対しては,更に1段階進んだ婚姻宣言をさせるようにする。例えば一夫一婦、夫婦別性、夫婦同姓、戸籍の作成、家族が同じ住所に住む、妻は子供を2人以上産む*5、等々,行政が望むスタイルで婚姻することを「更に」宣言してもらい,その達成に対して「更なる」恩恵や褒賞を「継続的に」*6与えるようにすることで,行政としては様々な夫婦のスタイルを認めながらも,行政自身が望む夫婦のスタイルを押しつける事も出来るという一石二鳥。
 そして1段階目の婚姻を自らの宣言によるものとにする事によって,離婚した場合,(特に女性に)大きな負担を強いている現行の婚姻制度の悪癖にも一石を投じたいという部分もあります。

 まあ言いたい事としては,どうしても夫婦同姓と夫婦別姓との間に差を付けたい(夫婦同姓でなきゃ駄目な)のならば,現状のように夫婦別姓(である故に婚姻できない)者に対して必要な施策をしない形ではなくて,夫婦同姓者に対して「更に」有利な施策をする方向で考えた方が良いのだろうと思う訳です。つまり行政の望むスタイルでの婚姻をする人に対しては「更なる恩恵」を与えるという形です(かと言って,この部分が大きくなりすぎるのは困りものなのですがね)。

 しかし,「選択的夫婦同姓制度」という単語を作ってまで夫婦別姓の流れを作ろうという人たちにすら,この考え方はなく,「行政があらゆる形の婚姻を認める」ような形しか考えていないのが実情でもあります。
 余談ですがこの場合,既に死語となっている「一般的な4人家族」(モデルケース)は完全にその根拠を失う事になります。それはそれで良いのかも知れませんが,税制や何らかの価格変動によって家計に及ぼす影響を図示したい人たちにとって,モデルが無いというのをどのように考えるか,ちょっとした問題になるとは思います。

 読むと分かる人も居ると思いますが,「更に」を強調するのは,他に特に何も宣言しない状態での婚姻宣言(これが最も一般的)は1段階目しか意味しないという事を強調したいからです。これによって,「行政が望むスタイルの婚姻」をすることの方が面倒になるという効果が出ます(これはt-hirosaka氏の記事に出てくる「選択的夫婦同姓制度」と同様の効果があると言えるのではないでしょうか)。
 また同記事中のコメントで「途中から夫婦同姓にしたい場合どうするか」という質問に対して「離婚してまた結婚すればよい」みたいなことを言っていましたが,2段階婚姻ならそれも必要ない(そもそもなぜ「離婚→再婚」の操作が必要なのか,そこに疑問を持たないというのが不思議;事実婚状態の救済という事しか考えていないというのもまた不思議)。




 あ,「せい」を選択できると言えば,「性同一性障害」*7というのが話題になったときに,本人の性も選択できるのだという考えが出てきましたが,そもそも同性結婚が可能になれば性を選択する必要も無くなる(「性」は出生時に具備している器官の問題に昇華される*8)のですね。
 ところが社会における男女の区別というのは,実際には「具備している器官」の問題と言うよりも,それに伴う社会的地位構成の問題とでも言うべきものです*9。実際,男が女装して女性トイレに入っても,バレなければどうってことなく(やったことないけどね;また年齢のかなり低い男性が,母親に連れられて女性トイレに入っても特に何も言われませんね),性別的に女でも「男」のように見られる人は「正しく」女性トイレに入っても問題視される(ことがある)訳ですから,結局の所これが「具備している器官」の問題ではない事が分かるでしょう*10。
 ということは,「男らしく」とか「女らしく」とかいうのは,「具備している器官」と「個々人の性格」を無理矢理結びつけ,「こうあるべき」を付け加えて社会が作りだしたものであるという事は忘れてはならないでしょう。某※国では「押しの濁った」大統領*11の頃に男女の性差が性格に影響するという論考が出て,それに影響された人も居るようですが(ある人が書いた記事:もう今はネット上にないと思いますが;は私には衝撃的だった),単なる「傾向」を社会が「一般化」のレベルに押し上げているだけなのに,それをまた「傾向」の方に還元しようとして,このような論考が出ているという事に気付くべきです。

 「姓は記号に過ぎない」という意見もありますが,「性」も本来は記号に過ぎないのに,そこに様々な差異を突っ込んで,まるで生まれ落ちた時に具備している器官によって,社会での役割はもう決まってしまっているのだという,何とも運命論的な構造を(その構造の中で有利な「男」が)押しつけていたというのが実情。
 雄はどこまでも雄で,雌はどこまでも雌なのですが,生まれ落ちた時にその先の全てがそれによって決まっているのだとしたら,「人間の理性」とかいうものはどこに飛んでいってしまったのかと言いたいですね(こういう時だけ「理性」というのはどこかに飛んでいってしまい,単なる一生物でしかなくなるらしい)。

 だから私の意見としては,意外な事かも知れませんが,戸籍などでの「性別の変更は認めない」という事になります。何故なら,社会が「性別」と「性別らしさ」との関係を全否定する事が最終目標なので,最終的には戸籍で性別を変更して自己同一性の保持を図る必要がないことになるからです(「性別」は先にも述べているように「生まれ落ちた時に具備している器官」の区分として処理するべきものと考える)。そして婚姻に関しても,同性の婚姻を(先に述べた1段階目の婚姻として)認める訳ですから,性別を変更しなければならない必然性はないという立場であります。



 そして「せんたくてきせい」と言えば,日本には非常にその域が狭い事例がもう1つ。
 服を買う(あるいは買おうとする)時,服のデザインや素材構成を見るのですが,その時,タグに付いている洗濯の仕方を見ると,やたらと細かい注文が付いている服の多い事多い事。
 やれ手洗いにしろとか,水温は30℃以下とか,ドライクリーニングしかできませんとか,アイロンは中温でとか,形を整えて陰干しにしろとか,何かと事細かに指定してきます。
 服を気持ちよく着続ける為には確かに必要な事なのかも知れませんが,全ての人がそのような種々の要求に応えられるような洗濯環境にあるとは限らない訳で,こうも「洗濯適性」が狭いと困る訳です(水流の強さすら選べない洗濯機を使うしかない人にとって,洗濯適性の狭さは致命的に思える)*12。
 それでも私のように綿製品を好んで着るような手合いの場合,綿製品は比較的洗濯適性が広く,多少無茶をしても着られなくなる程のことにはならないので,助かっているのですがね。

 ま,そもそも「選択的姓」を「せんたくてきせい」と読んだ時に,服の「洗濯適性」について考えている最中だったので頭が反応したというのが,今回の記事を書くきっかけです。なので最も重要なのは実は一番短い3つ目の「洗濯適性」なのです。この記事の結論は「洗濯適性」の広い綿製品が好き(アトピー持ちだった為に綿製品を着る必要性があった時期が存在し,それ以降純綿製品を選んで着るようになっているからそうなったのですが,それが怪我の功名的に今効いている),ということで(最初に今回は「せんたくてきせい」について考えてみるって書いてあるでしょう)。



 で,この記事を書くのに相当手間取っていたら,その間に「村野瀬玲奈の秘書課広報室」でt-hirosaka氏の記事を紹介する記事が公開されました。…参考にはならなかったのですが(元記事読めば十分)。
 未だにこのブログにネトウヨの沸く理由が分からないんですよね。それ程の価値があるとも思えんのに。


※「異性愛者への12の質問」を下敷きにした「夫婦同姓論者への質問」の例というのも面白かったのですが(下に引用します),今回はパス(深く突っ込まない:主題が「洗濯適性」なので←こら!)。こういった発想の転換というのが非常に面白く,また必要なものだと思うのですよね。実は発想の転換は保守サイドにも必要で,変えないという選択をする時にも発想を転換していく必要があるのです。それをやってこなかった保守が破綻したのが,先の選挙であるとも言える訳で。
※「夫婦同姓論者への質問」の例(「たんぽぽのなみだ〜運営日誌」の記事より)

--------
凶悪な少年犯罪は、夫婦同姓の家族から起きています。
あなたは、自分の子どもを、同姓夫婦の家族で育てることを
安全だと思いますか?

夫婦同姓の婚姻は、完全な社会のサポートが受けられるにもかかわらず、
今日では、結婚する夫婦の何割かが、やがて離婚すると言われています。
なぜ夫婦同姓の関係というのは、こんなにうまくいかないのでしょうか?
--------




*1 この場合必ず俎上に乗せられるのは,何故か必ず「女」の方である。
*2 今後の婚姻制度においては,「両者」とすべきだと考える。
*3 社会的な要素を省いても相当の規制が掛かっていて,ある意味「そこまでして婚姻させたくないか」と思う部分がある。
*4 夫婦別性を基礎にしている施策を含むのは難しいかも知れないが,検討の余地はあると思う。
*5 何故これが此処に含まれるかと疑問を持つ人は,婚姻が継続的なものであるという事を考えて頂きたい。婚姻の宣言の時に全てを決定しなければならないという考え方そのものに問題があるという事だ。
*6 継続性を持たせる事によって,好きな時に宣言し,好きな時に撤回することが出来るようにする。これで自由度を更に高める事が出来ると考える。
*7 「ジェンダーフリー」の思想において,性同一性障害はどう捉えられるべきなのか,私にとってはよく分からない事である。
*8 両性具有の場合どうするかという問題は,また別に考えるとして。また,学校現場などの問題は,どうせ「性の選択」がその時期に行えないのならば意味はないということでちょっと置いとくとすれば,さて性の選択の必要性とは?
*9 生まれながらに持っている器官によって,その人の性格の方向性が決定されると考えている人が居るが,それは社会的影響を無視しすぎと言わねばならない。
*10 具備している器官に相応しい方に入るような分け方が良いのか(両性具有とか「切っちゃった人」とかはどうするのか),それとも見た目相応しい方に入るような分け方が良いのか(「見た目相応しい」はどうやって決められるのか),いっその事区別を無くしてしまう方が良いのか(これは男性小用以外が統一されるという事で,問題の解決にはならないかも知れない),それぞれ考え方があってとても難しいがね。
*11 Pushじゃなくて。
*12 クリーニング屋が無い訳ではないので,持って行けばそれに合った洗い方をしてもらえるだろうが,それは手間でしかない。


 「選択的夫婦同姓制度」を評価しようと思って書き始めたものの,書いていった結果それすら批判する事になってしまったなあと反省。


参照
恐妻家の献立表:選択的夫婦別姓制度について
 http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20091014/1255535611
まりにっき:選択的姓
 http://d.hatena.ne.jp/mari-nsbt/20091015#p1
村野瀬玲奈の秘書課広報室:夫婦同姓神話は終わりにして、「選択的夫婦同姓制度」か「選択的夫婦別姓制度」を導入しよう。
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1489.html
たんぽぽのなみだ〜運営日誌:選択的同姓制度
 http://taraxacum.seesaa.net/article/130950465.html

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たんぽぽのなみだ〜運営日誌
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(この記事は当Weblogで以前に書いた「せんたくてきせい」の流れにある記事なので,そちらも参考にして頂ければと思います) ...続きを見る
Eric Prog
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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
Eric Prostさま、はじめまして。
「たんぽぽ」です。

わたしのブログのエントリの引用と、
トラックバックをくださったこと、ありがとうございます。
TBを返そうかと思ったのですが、失敗したみたいなので、
こちらでごあいさつとします。
http://taraxacum.seesaa.net/article/130950465.html

発想の転換は、変わらない人たちにも必要だと思います。
自分を客観視すれば、変革を求める人のことも、
すこしは理解できるようになるかもしれないです。

あと、別姓夫婦の子が不幸になるのは、
「不幸」と言っている人たちが、みずから作っている、
というのは、わたしも思っているところです。
こちらにちょっとだけ書いていますので、よろしければどうぞです。
http://taraxacum.seesaa.net/article/129995142.html
たんぽぽ
2009/10/30 23:43
>たんぽぽ様
 コメントありがとうございます。
 トラックバックは「全保留」に設定している為,即反映されませんでした。その旨を説明していなかったのでご迷惑をおかけしました。

 たんぽぽ様の発想の転換の例が興味深かったので,今回の話と絡めてもう少し書きたかったのですが,…力尽きました。
 数年前でしょうか,あるCMで「変わらなくちゃも変わらなくちゃ」というフレーズを某有名スポーツ選手が話していましたが,「そのままでいようも変わらなくちゃ」というフレーズも必要なのではないかと思った訳です(「変わり続けることも 変わらずにいることも難しい」そうですし)。

 日本以外の国では別姓夫婦の子が必ずしも不幸ではないという事実を踏まえた上で,何故日本では別姓夫婦の子が不幸になる(と考えられている)のかを考えてみた結果,こういう考えに至ったものです。
 日本でだけは,別姓夫婦の子が不幸になるのだというデータでもあるのなら,それなりの説得力を持ってくるのかも知れませんが。
Eric Prost
2009/10/31 01:40
「選択的姓」は…「(夫のか妻のか)どっちかを選ぶ」ではなくて「どれでも好きなのを選ぶ」というダンナの説を表現したつもりだったのですが、そうは書いていないのでわかりませんね。本筋じゃないし。
でもそれを「洗濯適性」まで展開していただいて、感謝です。うちはもう少し機能の多い洗濯機ですが、「ドライモード」て何よ、いきなり水入れてるやん、と思います。
おっしゃることにはいちいち納得です。が、行政に認めていただかない「結婚宣言」と、いわゆる「交際宣言」との違いが、あんまりよくわかりません。覚悟の程度ですかね?いつでも撤回可能となるとよけいに…。
まり
2009/11/04 23:21
>まり様
 「選択的姓」はそこまでの意味を含んでいたんですね。ネタ元に重きを置きすぎていて気付いていませんでした,これは失礼しました(でもその時「(天皇好きだから)私も姓無しって事で」という宣言は出来るのでしょうか?)。

 「行政に認めていただかない「結婚宣言」」ってのは,行政が望む形(今の民法にあるような制約が掛かった形)ではないということなので,所謂「交際宣言」との違いは,確かに「覚悟の程度」に収斂されてしまいそうですね。
 そうするとまた「離婚が増えて云々」という話に繋がるのかも知れませんが,とかく人をはめ込んでいる型の存在に対して無関心な方々に,少子化を憂えておきながら「婚姻」しにくい環境を変えないのはどうかということで,何らかの「発想の転換」を促してみたいと思った訳です(今まで「当たり前」と思っていたことをいちいち宣言するようにすると,どれだけ面倒な手続きが含まれているのかが理解できるような気がしたので:たかだか100年程度の「家族制度の傳統」とは何かを理解する上でも)。
Eric Prost
2009/11/05 07:43

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