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zoom RSS 今回は自信を持って「公開するべき」と言える

<<   作成日時 : 2009/10/24 18:28   >>

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 4月頃に一度『南京!南京!』の話題が出てきた時には,実物を見てみたいと思っていたので沈黙していた訳ですが,実際に見る事が出来る環境が手に入ると,真っ先にと思っていた割には見るまでに時間がかかってしまったものがこれ。


 昨年の『YASUKUNI』の時は上映に関する揉め事が何かと先に立って,なかなか深い議論に発展しなかったように思いますが,今回の『南京!南京!』もそのような「条件反射」のオンパレードになるようでは少し困る訳です。

 そもそも「中国人が作ったから」とか「中国の映画だから」とかで「中身を見る」までもなく「反日的で捏造ばかりのものに決まっている」という条件反射はしたくないと考えるので,何らかの形で実物を見てみたいと考えるのですが,昨年の『YASUKUNI』の一件は少しトラウマとなってしまった部分があります。
 昨年の『YASUKUNI』の時には「とりあえず見せろ」というような事を書いたのですが,実物はと言うと,これが見るに耐えないオンボロ映画。多数のプロットを死なせた上に,「カメラの視点」が既に編集であることを忘れてしまった作り方,さらには映画の撮り方そのものにも問題があるという,李纓という映画監督の技能が,内容以前の問題で非常に低いことを見せつけられました。田原総一朗などは当時異常なまでの褒め方をしていた訳ですが,内容以前に見る価値なしという映画について騒動を巻き起こし,観客数を増やすという愚行を国全体でやってしまった訳です(私もそれに加担した1人です)。

 それ故,中華人民共和国の産品に対しては懐疑的にならざるを得ないのですが,今回の『南京!南京!』は役得(ちょっと違う,大陸に居るということ)で日本で公開される前に(盗版の可能性有の)DVDで見ることができました。


 …意外にも引き込まれて見てしまいました。
 まず,この映画は見るに耐えるもので,『YASUKUNI』と比べるのが失礼なくらいだと思います。当然のことながら,時代考証とか背景とか日本軍の占領政策の描き方等々,中身には何かと文句の付けようがある訳ですが,当時を回顧する上での一つの描き方としてその質の高さは評価されて良いでしょう。
 また,日本軍人を単に「鬼畜」としては描かないという姿勢が見られます。単に侵略、略奪の仕手として見るのではなく,一個の人格を持った「人」として描いており,特に現場に駐留していた軍人の心の揺れ動きなども(表情だけとは言え)表現されていたことについては高く評価できるでしょう。さらに,日本軍人を日本人に演じさせ,nativeの日本語を話させていることも大きな事です(さらに,日本語が間違っていないことも重要:日本人が校正した可能性も考えられる)。
 殺戮シーンがあり,人を銃殺しているシーンなどでは血が飛び散るシーンもある為か、全編モノクロで表現しており,それが他にも何かの意図を持っているものと考えますが,全体的には広い視野でものを見ようとしている良作だと言えましょう。


 もちろん,私が個人的に疑問を感じた部分も幾つかあります。

 1. 主人公の1人である日本軍の「角川」が街を歩くシーン:このシーン以外では所謂南京大虐殺で描かれるようなシーンは散発的に描かれるが,ここだけ「陳列」されているかの如く集中的に描かれている。これは結局プロパガンダ的になってしまうのではないかと思う。

 2. 何故南京でこのような出来事が起こったのかということについての問題提起がない:登場人物を全て「人格を持った人」として描いた点は大きく評価できるが,その「人」を動かしていた大きなpowerについては全く<pre>*</pre>言及されておらず,南京という一都市で話が終わってしまっている。これでは,「何故南京だったのか」については問題提起されていないと考えなければならず,このような南京に特有の原因が存在しない描き方では,結局の所「日本軍の残虐さ」を表現しただけに止まってしまうのではないかと思われる。

 3. 祝祭での踊り:1938年2月に南京占領の祝典が行われるシーンで,日本軍人が太鼓に合わせて踊るのだが,これがひょっとこ踊りか阿波踊りか,何ともその場に合ってこない雰囲気を醸し出していて,私には理解不能であった(これは私の知識不足によるものかも知れないが)。

 4. 「角川」の自殺:心的葛藤は表情のみで描かれることが多く,最後に何故「角川」が死んでしまうのかは理解に苦しむのではないか。

 それでも,この映画は非常に大きく評価するべきものであり,『YASUKUNI』のトラウマを払拭するだけのものでした。今回は一度見てみることをお薦めできる映画だと言えましょう。
 陸川というのはなかなか面白い映画を作るものだなと思った次第で,他の作品も見てみたいと思わせる程の出来ではあったという事です。


 但し,これが「南京の真実」に近づくものであるかどうかということについては,懐疑的にならざるを得ないでしょう。陸川が色々な文献を読んだということは喧傳されていますが,これはあくまでも歴史映画であっても記録映画ではないということには注意しておく必要があります。


 いずれにしても,こういった比較的質の良い映画が広く鑑賞されることによって,各人の歴史認識への視野が広がること,またこの映画を鑑賞する人がこの問題に関心を持つことを期待しましょう(これは日本人に限らず,この映画を鑑賞する全ての人に期待したい事であります)。



* 起こっている事に疑問を持ちながらも反抗するでもない「角川」の姿勢というのは,彼を動かしている大きなpowerの存在を匂わせるものがあり,「全く」というのは少し言いすぎになるのでしょうが,南京という一都市で話が終わらせない程の大きな影響を持つものではないということで「全く」と表現させて頂きます。


附記
 中共が上映を認めたから中共にとって価値のあるものであり,それは結局「反日」に相違ないという考え方もあるでしょうが,とりあえず中身を見ずにそこまでよく言えるものだと感心せざるを得ないというのが実感です。
 そもそもプロパガンダ作品だとしても,それを鵜呑みにして謂われのない日本批判に走ってしまうくらいに「自分以外の日本人」は暗愚であると考えられる程,自分には教養があるという根拠はあるのでしょうかね。
 また,この映画に出演した日本人は,比較的名の知られていない人が多いのですが(演劇や映画の方面に詳しい人が名を知っていることはあるとは思いますが),中共のプロパガンダに利用された「売国奴」であると考えたり,売れる為なら手段を選ばない者であると見たりする向きもあるようです。しかし,これは自分たちに同調しない者を不当に貶めている考えであり,論評する気にもなれない程愚にも付かないものだと言うほかありません。

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
南京大虐殺は世界的に誤解されています。

中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。

ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。

否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。

(65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

核心
2009/11/11 03:06
>核心 様
 栗原利一氏のスケッチブックを多少見てみましたが,なかなか興味深いものですね。
 私自身「南京事件」のことはよく分かっていない方なので,こういった映画が「南京事件」への關心を繼續させてくれればと思っています(「名古屋市の河村市長は無知なだけ」ですが,關心を繼續させてくれる点ではそれなりに貢献したと思います)。
Eric Prost
2009/11/12 09:21
 「戦史叢書」と南京大屠殺記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。

 史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、 わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、 史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。

...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
核心
2009/11/12 16:27
 実態は「キリング・フィールド」と同じ類です。(他への投稿より)

「侵掠」より

南京大虐殺については以下のような記述です。
私はこれ以外に父から聞かされた中国兵捕虜の斬首行為に適合する記述を知りません。

南京大虐殺

”二人とも南京陥落(昭和12年12月13日)後はじめての帰還だった。ちょうど一ヶ月目である。...

捕虜も全部で10万人くらいいるらしい。最初に入城した部隊が、「この捕虜をどうするか」と軍司令部に聞いたら、「適当に処分しろ」という話だった。...

そこで、揚子江岸の下関へ、捕虜を連れていって首を切った。最初の列の処刑が終わると、次の列を前進させて、死体を前に投げ込ませて、それから前と同じように一列にならべて処刑した。こうして朝から晩まで、つぎつぎに首をはねたが、一日に二千人しか斬れなかったという。...

二日目には手が疲れてきたので、機関銃をかつぎ出した。河岸に向って一列に並ばせて、ドドドドッと、重機関銃の引き金を引いた。捕虜たちはいっせいに河に向って逃げ出したが、岸までたどりついたものは一人もいなかったという。...

揚子江には中国兵の死体がいっぱい浮き、河の水は真っ赤で正視できぬ惨状だった、という。...”

私が小学三年生の時に、父が話した身振りは以下のようなものでした。
父は坐ったままで刀を(実際の刀は持たずに)思いっきり上から振り下ろす動作を数回繰返した後で「さすがの揚子江も真っ赤になった。」といって高笑いしていました。

父は首を斬ることをもっぱら担当していたのだと思います。
父は当時26歳で剣道三段でした。
核心
2009/11/12 16:46
南京陥落時の日本陸軍による非戦闘時の大規模な捕虜の殺害を日本政府が認める可能性はまったくありません。

非戦闘時にしろ、戦闘時にしろ、日本軍による殺戮は城外で行なわれました。

そういった点からは、南京城内に留め置かれた欧米人による「ジョン・ラーベ」は日本人には誤解を与えやすい本です。

私の父親(栗原利一)は小平市剣友会会長や小平市福島県人会会長、金鵄会小平市支部長などを務めましたが、上記のように65連隊の下関(シャーカン)での2千人斬首の日本側の唯一の証人です。
核心
2009/11/12 16:53
(他への投稿より)

父親(栗原利一)のスケッチブックは3度は破壊工作にあっています。

このスケッチブックの存在は最初から中国側、戦史部側に知られています。

最初は追記による破壊です。
否定派は父親を脅して干渉して来た際に、余白に追記をさせています。
否定派のマーキングのような類です。
田山氏がクリスチャンであるという一文です。
(このマーキングは肯定派も行なっていて、父親も話していないことが追加されるので不思議に思っていたと思います。紫金山の虐殺の件です。)

次は2006年の某社での出来事です。
森松俊夫氏が主導的役割を果たした破壊工作です。

最後の一つは2007年の小野賢二氏放映の取材です。
このときはスケッチブックの貸し出しを求められたのですがお断りしました。
彼らもよく研究していて、放映のときはわざわざ追記の部分を外して映像にしていました。

スケッチを見れば分かるように、「わが部隊は1万3千5百であったが、他部隊と合わせて7万余人と言っておられた。」が父の書いた内容です。

南京は中国側の言ったようにあったことです。
でもそれは日本政府は決して認めることは出来ないでしょう。
平成のこそ泥、森松氏の書いた「戦史叢書」は公式文書扱いなのですから。
核心
2009/11/12 23:07
スケッチ帳NO27

http://www.kuriharariichi.com/sketch/to_0040/0027.html

スケッチ1(スケッチ帳NO27上段)の注記

鳥龍山、幕府山砲台
白旗を翻し投稿する支那兵、1個分隊で46名か捕りょを降して連れて来た。
この時は敵が1人として抵抗するものがなく、
実に従順なものであった。が□し戦友が沢山戦死負傷させたのはこの敵と思うと
たた敵かい心にもいるのみであった。でも投稿者はすなをに受け入れて取り扱った。

スケッチ2(スケッチ帳NO27下段)の注記

(左上)
第1大隊兵長以下135名であった。(田山大隊)
その部隊に1万3,000名余捕りょを降して
右に集めた敵の武装解除した兵器弾薬の山
我分隊は最後尾に終り右武器を石油をかけて
もして使用不能にした。

(左上2段落目)
50mおきに兵をつけて南京兵舎に向けて連行するところ。
兵隊が皆で135名丈けだった。田山大隊長。

(右下、山の絵脇)
兵器の山

(右下)
これは13、500余名の武器弾薬の山である。
栗原はこの処理を命ぜられて最後尾にて
部下と四方から一斉に火をつけてもして了った。
天をついて居った。
核心
2009/11/19 20:40
スケッチ帳NO28

http://www.kuriharariichi.com/sketch/to_0040/0028.html

スケッチ3(スケッチ帳NO28上段 )の注記

下の廠舎で我が部隊において13,500名を3日間飼った。
食糧は鳥龍山砲台から馬で運搬して毎日カユ2食を食べさせた。
13,500と言ふ莫大な兵を飼うには一方ならぬものであった。
水さい与えることは出来ず、兵は自分でやった小便をのむものも居た。

(以下画中の文字)
      揚子江
              鳥龍山至
          池
 藁屋根の捕りょ収容所

スケッチ4(スケッチ帳NO28下段)の注記

   揚子江
ここの中央の島に1時にやるためと言って
船を川の中ほどにおいて集めて、船は遠ざけて
4方から一斉に攻撃して処理したのである。
この時撃たれまいと人から人へと登り集るさま。
即ち人柱は丈余になってはくづれ、なってはくづれした。
(島流し)
その夜は片はしから突き殺して夜明けまで
その処に石油をかけてもやし
柳の枝をかぎにして1人1人ひきじって
川の流れに流したのである。
我部隊は13,500であったが
他部隊合わせて70,000余と
言って居られてた。
全く今考えて想像も出来ないことである。
核心
2009/11/19 20:41
>なかなか興味深いものですね。

南京の研究者は全ての人が知っているスケッチ帳です。
肯定派はこのスケッチ帳があるから、大虐殺があった、と主張します。
捏造派はこのスケッチ帳が公にならないことを前提として栗原証言を捏造しています。

このスケッチ帳と「両角大佐手記」の違いから戦後の南京の捏造が判明したのです。
「両角大佐手記」は昭和36年に終戦時少佐の平林貞治氏と後に論説主幹を務める福島民友新聞社の阿部輝郎氏が作成した歴史捏造資料です。
わずかな両角氏のメモに二人で出鱈目を書き足して作成したものです。
肯定派の人は大概はこの手記を保持しています。
スケッチ帳と較べれば一目瞭然で出鱈目が書かれていることが判ります。
ただ、阿部氏はこの手記を元に30年以上にわたって4作の歴史捏造本を書かれています。
(これは誰でも知っていることですが、阿部氏の本での40人以上の証言者が捕虜の殺害の実行者になります。)
私は左翼ではありませんが、左翼の連中はこの手記をまったく馬鹿にしています。
核心
2009/11/19 20:53

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