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zoom RSS 今年の広島平和宣言に見る「いやらしさ」

<<   作成日時 : 2009/08/09 08:24   >>

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 8月6日に広島で行われた平和式典で,秋葉忠利広島市長が平和宣言を行いました。毎年核兵器廃絶、恒久平和に向けてメッセージを発するのですが,今年はその中で,アメリカのObama大統領がPragueで核兵器廃絶を視野に入れた演説をしたことを受けて,Obamaを支持し,核兵器廃絶を進めていくことを主張しました。
 それはそれで1つの方針として受け入れられるものですが,秋葉の宣言を聞いていて,「私たちはObamajorityです」と言った部分には違和感を覚えざるを得ませんでした。

 何となくアメリカ大統領も核兵器廃絶の方向に向いているということによって,核兵器廃絶の方向性に(さらなる)権威付けをしようとしていることは分かるのですが,「自分たちがmajorityであること」を誇っちゃダメでしょ。と言うか,自分たちがmajorityになった瞬間にそれを前面に押し出して,「多数派」である(になった)ことを武器にして自分たちの意見を押し通そうとするその姿勢は,果たしてpower game(軍備合戦)を批判する立場の核兵器廃絶論者として「筋の通った」ものなのでしょうか。

 私自身も核兵器廃絶には賛成の立場ですが,このような主張は,majorityであるから賛成とかminorityであるから反対とか,あるいはその逆とかいうものではありません。小田実の書名で言うならば「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」*類のものであって,如何に世間に浸透させていくかということが重要なものです。
 となれば,世間に浸透した証としてのmajorityであることを誇るのならばともかく,アメリカ大統領という強大なpowerを行使できる者が核兵器廃絶に向けた演説をしたことを,自分たちの主張の補強として平和宣言の中で大々的に誇った秋葉は,やはり筋が通っていないと思わざるを得ないのです。
 秋葉の宣言から感じたのは,minority sideだった意見を持つ者がpowerを得た時の,ある種の「いやらしさ」であり,その「いやらしさ」は左右問わずmajority sideに立つことができたりpowerを得ることができたりした者によく見られるのですが,minority sideだったりno powerだったりした場合にその主張が捨てられるのを納得できるのかということですね(また,その「いやらしさ」に含まれるのが,自分たちの立場を「民主主義」という言葉で正当化しようとすることです。逆の時には「少数意見の尊重を」と言ってごり押しをしようとしているのもまたいやらしい)。


* この書名を挙げたからと言って,別に小田実に共感している訳ではありませんがね。

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