Eric Prog

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zoom RSS 「nationalなもの」への要求

<<   作成日時 : 2009/08/04 07:16   >>

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 ミス・ユニバースの日本代表が「世界大会のプレ審査で着用する「ナショナル・コスチューム」」に関して,ネット上で批判の嵐が吹き荒れているようで,
 まあしかし,ミスコンなんてものは,かなりの偏見込みで言えば,水着姿の女性を舞台上で歩かせて,それを見て嬉々としているのですから,今さらそこに何を求めるのでしょうか。

 さて,Web上で見ることのできる件の衣装を着た日本代表の写真を見てみると,…確かに少し「扇情的」なのかも知れませんが,全体として見れば,意外と面白いものかも知れません。
 確かにボディスーツは見えていますし,ガーターベルトだし,その2つともにショッキングピンクだし,写真によっては手に「はんにゃのめん」*持ってるし,色々とよく分からない出来上がりであることは否めないですね。
 また,あくまでも個人的な感覚によるのですが,exoticという語が真っ先に浮かんでくるような全体像では,何らかのstereotypeが働いているようにしか思えない点でも,個人的には感嘆の目を持って見るようなものではありません。所詮は「遠い世界」のものとしか思えません。


 今回の衣装,表現の前提がnational costumeですから,"national"でないと反感を買う訳です。「nationalなもの」の基準はデザイナーの判断で決められるわけですが,それがあまりにも独特な風味を持っていて,多数の「日本人」の共感を得られなかったことが,今回の炎上を生み出したのでしょう。
 ではデザイナーは謝罪するべきかというと,…果たして誰に謝罪するべきなのでしょうか。
 まず,当初の案と違う案を採用したことによって,「素材協力」をしている企業の想定を超えてしまったことにより,その企業の担当者を困惑させているようですから,これは担当者の失敗であり,事態を収拾させる必要があると言わざるを得ません。デザイナーまでもがその点を疎かにしていた(あるいは告げないよう指示していた)とすれば,それは謝罪するべきものになるでしょう。
 ではそれ以外には,ということになると,これはなかなか難しいものです。まあそれ以前に,当のデザイナーやプロデューサーは謝罪などということはさらさら思っていないようですが。


 総合プロデューサーのLigronは自身のWeblogで"The conservative and fashion-dinosaurs are critisizing her costume, meanwhile the fashionistas love it."と言っています。
 ただLigronの言っていることは,全てを自分のプロデュースで制作している場合には説得力がありますが,今回は所詮(Ligronの言う"conservative"を含む)他人の協力を得て制作が進められているのでしかなく,さらにその協力した人から批判されているということを考えれば,自らの土台すら崩してしまう傲慢や開き直りの類と言われても反論できないでしょう。
 Ligronが(わざわざ)"fashionalista"と呼ぶ「お仲間」たちからは称賛されているので,コンサバの言うことなど放っておくということであれば,協力者の中にコンサバが混じっていた(そしてそれを見抜けなかった)ことを羞じるべきです。「お仲間」の方しか向いていない姿勢が見ていて非常に醜く思えるのは,ファッション界であろうと思想界であろうと同じことですから。


 今回のnational costumeのデザインをした緒方義志も,自身の店のWeblog上で手記を公開しています。
 まず,national costumeに関して緒方は「誤解されがちなのはこのステージで求められるプレゼンテーションは、単に各国の古典的な装束を発表するということではなく、その国独自の装束に新たな創作を加え、そのデザインとパフォーマンスで会場の観客を楽しませるエンターテイメントの要素が強く求められる」としています。ここで1つ気になるのは,performerすなわちそれを着る人のことがどれだけ考慮に入っていたのかということです。着る人をただの道具としか考えていないところで,performanceとかentertainmentとかをいくら並べ立てても,それは虚しく響くばかりです。デザイナーは,特に着る人が特定されているような場合には,全体的なコーディネートをする訳ですから,着る人のことを如何に考えたかについて言及するべきだったのに,それが全くないのでは,この衣装がデザイナーの自己満足だったと捉えられるのも無理からぬことです。

 続いて「今年の狙いは、「着物は奥ゆかしき日本人女性の象徴である」という現代の日本人が作り上げた妄想と、「着物は未来永劫変わってはならない」という、これまた現代の日本人が勝手に作り出した不文律の否定にあります」と述べていますが,同時に「日本人女性が「奥ゆかしい」性質を持っているということは、自他共に認める民族性のひとつだとは思います」と言ってしまっています。
 「着物」と「日本人女性の奥ゆかしさ」を結び付けるのは「妄想」であるとしているのに,「民族性のひとつ」である「奥ゆかしさ」を着物で表現することは認めてしまっているのですから,これは論理矛盾になってしまっていると言わざるを得ません。問題があるから「妄想」とけなしているはずなのに,それをa prioriであると言ってしまうのでは,何が言いたいかが分からなくなってしまっています。


 そもそも緒方が「着物の枠」を越えようと考えていて,あれほどのデザインにするのであれば,「素材協力」してくれる企業等とデザインについてもう少し詰めておくべきだったでしょう。

 J-CASTの記事によれば「衣装協力した老舗呉服店が「衣装合わせの時と長さが違う」と抗議した」ことが,丈の長さを変更する要因の1つとなっているようですが,上でも述べたように,これが要因となること自体,担当者の不手際としか言い様がないのです。
 誰の責任でこうなったかは分かりませんが(それは明らかにされるべきでしょうが),「着物の枠」を超えたところのデザインを考えていて,かつ「素材協力」を「老舗呉服店」という既存の着物メーカー(「既存の着物」を作るメーカーであり,すでに存在している「着物メーカー」でもある)に頼もうとしていたのなら,そのことについて当該企業と詰めの協議を行っておくべきだったのです。その「老舗呉服店」は,あくまでも「着物の枠」の中で商売をしているのであり,その企業に「着物の枠」を超えたデザインの責任の一端を押し付けた格好になった今回の対応は,到底感心できるものではありません。

 また,緒方が「着物の枠」を超えることに重点を置いていたのなら,そもそも老舗呉服店にこのような形での衣装協力を求めるべきではなかったとも言えます。その老舗呉服店と一緒にデザイン(およびそのデザインにまつわる思想)を構築するべきだった,あるいは一緒に「着物の枠」を超えようとしてくれるメーカーを探すべきだった,あるいはとにかく名を売りたい企業にでも素材協力を求めるべきだったでしょう。「着物の枠」の中で商売をしている企業に,「着物の枠」を超えたデザインをしておきながら物だけ寄越せというのは,企業のことを全く考えていない,デザイナーの傲慢な行為でとしか言い様がありません。その意味で,緒方およびLigronのやったことはちぐはぐだったのです。


 緒方は「日本人女性が「奥ゆかしい」性質を持っているということは、自他共に認める民族性のひとつだとは思います」と言いながら,同時に「世界一の美を競う大会で「奥ゆかしさ」を一番の武器にして勝とうとする戦略は、その理論構築が完全に矛盾していると言わざるを得ません。」と言っています。この言自体は理解できますが,では「奥ゆかしさ」を封印してしまう必要はあったのでしょうか。
 緒方の言に従うならば,「奥ゆかしさ」を一番の武器にすることはないかも知れませんが,それを封印しなければならないということにはならないように思います。だとすれば,「奥ゆかしき日本人女性」を組み込むことは可能だった訳で,「奥ゆかしさ」を否定するところに戦術を置いたとすれば,それは失敗すると言わざるを得ません。


 緒方は自分の挑戦に立ちはだかるのが「現代における着物という装束にまつわる、日本史始まって以来と言ってもよい程の極めて保守的で変化を悪とする暗黙の掟」であるとし,「まずは、この掟を否定するところから始めなければならない」としましたが,その掟を否定したところに「nationalなもの」が生起するのかどうか,それを誰が判定できるのでしょうか

 緒方は「もし私達日本人が本気で着物文化を再び生き返らせたいと考えるのであれば、うんちくを並べて枠からはみ出すようなことはしないという姿勢からこそまずは脱却すべき」としていますが,その前提として「重層的で自由なものづくりの中に様々なスタイルが生まれ、ファッションが生まれます。それこそが、真に生きた文化と言えるのではないでしょうか」と述べているように,着物が「生きた文化」であると考えるということがあります。
 しかし,緒方のデザインに対して「これは着物などではない」とか「着物を冒涜している」とかいう意見が出てくるということは,着物を「生きた文化」と捉える風潮がまだ支配的になっていないということの現れでしょう。
 おそらく今の日本人にとって,着物は「高級文化」すなわち「大文字の文化」でしかなく,「生きた文化」すなわち「複数形の文化」ではないのでしょう。そう考えると,この「斬新な」衣装はお世辞にも「高級なもの」とは言えず,また,一般の日本人にとっても馴染みのあるものとも言えないのであり,どのような意味で「生きた文化」となっているのかは,やはり疑問だと言わざるを得ないのです。
 また,藝術家がものを作る場合,それを文化として規定したいのであれば,やはり「藝術としての文化」に収斂せざるを得ず,藝術家が金銭を介してそれを作っている限り,それはどうしても「高級文化」の枠を出ることは難しいのではないかと考えると,緒方は「生きた文化」として着物を再定義しようとしてはいるものの,やはり「複数形の文化」としての着物とは言い難く,どうしても「高級文化」の枠の中での闘争としか捉えられないのではないかと思います。
 それら全てを踏まえた場合,この「斬新な」衣装をnational costumeとして世に出すことは,果たして時宜を得たものだったのでしょうか。


 「こんな着物,私は着たくない」という意見もあるようですが,おそらくデザイナーはこれを一般的に着るファッションとして作ったのではないでしょう。だとすると,それはデザイナーの思想表現としての衣装ということになるのですが,どこまで表現された思想が当事者間で共有されていたかということについては議論の余地があるでしょう。藝術家は実用のためにではなく,思想表現のためにものを作ることがあるので,そこは見分ける目も必要でしょう。



 まあしかし,ガーターベルトに何かを語らせようとしたとしても,それを採用している時点で,デザイナー自身が所謂「西洋的価値観」の虜になっているのだ(その時点で"national"はどこへ行ってしまったのかという疑問も湧いてきます)ということ,それを当のデザイナー自身がどれだけ自覚できているのかが,この問題の最大の関心事なのかも知れません(この場合「世界的に通用するかどうか」とか「世界のファッションリーダーがどう考えるか」などというのは関係ないのです。そもそもファッション界に於いてすら「世界=西洋」でしかない現状に批判的でないとすれば,それは「挑戦する」デザイナーとして羞じるべきことなのです)。
 そもそも目的が「ミス・ユニバースに優勝すること」である時点で,すでにこの衣装がある「枠」の中に填ったものでしかないという事実が忘れ去られているのではないでしょうか。真の意味で「挑戦する」のであれば,ある目的の為の衣装に適用するべきではなかったのです。今回の場合「目的」が「手段」に干渉して,表現の方向を規制する訳ですから,このような舞台を借りるべきではなかったですし,「目的」を同じくする人たちに受けることを狙った(だけの)ものであるならば,それはやはり範囲が限定されていて,「挑戦」という言葉が緒方の思いとは裏腹(別)に虚しく響いてしまうのではないかと思うのですね。


 最終的には丈の長さを原案まで戻すことで決着しそうですが,これをデザイナー側はどう捉えるのでしょうかね(Ligronが丈を短くさせたという説もありますが,丈の長さを変えることに対するデザイナーの思いは如何ほどだったのでしょうか)。


* まあ「混乱」という意味では共通項ですね。


参考
J-CASTニュース:「ミス・ユニバース」衣装に批判殺到 「下品だ」「売春婦のようだ」
 http://www.j-cast.com/2009/07/29046326.html

J-CASTニュース:批判殺到ミス・ユニバース衣装 「腰が隠れる長さに」変更
 http://www.j-cast.com/2009/07/31046558.html

inésligron:Nationalista by Leslie Kee
 http://inesligron.com/?p=6219

義志東京本店日記:代表より
 http://blog.livedoor.jp/yoshiyuki_tokyo/archives/51593188.html

ミス・ユニバース・ジャパン:ナショナル・コスチューム衣装に関してのご報告
 http://www.missuniversejapan.com/news/2009/07/30-190.html

miss universe 2009 photo gallery:National Costumes Preview Emiri Miyasaka
 http://missosology.org/2009/mu/gallery/v/MU2009/national-costume-fitting-024.jpg.html

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