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zoom RSS 時ならぬ争論

<<   作成日時 : 2009/07/03 21:17   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 4

 初めこのニュースを見た時,何となく唐突な感じを受けたのですが,実際にこれが問題とされる時期にしか議論すべきでないと考える方が,実は思考の硬直であるのだということを考えると,議会が開かれている時にこういう質問が挙がってくるのも,それはそれで時宜に適っていると言えるのでしょう。

 時事ドットコムの記事にはこのようにあります。
 上田清司埼玉県知事は1日の県議会本会議で、県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて「式典のルールに従って模範を示さなければならない教員が模範にならないようでは、どうにもならない」と述べた。その上で「そもそも、日本の国旗や国歌が嫌いだというような教員は辞めるしかないのではないか。そんなに嫌だったら辞めたらいい」と強調した。


 当然ながら,coffeeのような手合いはこういうのを絶賛する訳です。
 上田の発言を「正論だ」と絶賛し,「法律やルールに従わない反日教師が辞任をしなければ、「懲戒免職」にするべきだ」とか「今後は、懲戒処分を一律に懲戒解雇とするよう強く要望する」とか書くのですが,「懲戒免職」にされるべきなのは「反日教師」なのか「法律やルールに従わない教師」なのか,それともその2つが同居した時なのかどれなのでしょうかね。
 「反日教師」ならば,君が代斉唱時云々はせいぜい「反日教師」であることが判明する1つの指標に過ぎないのですから,これだけに執着するのは手抜きでしかありません(coffeeのような手合いが批判の声を上げるべきだ)し,「法律やルールに従わない教師」も君が代斉唱時に必ず従わない訳ではないのですから,これもこの問題とは本質的に無関係。そして,この2つの同居とするならば,それがなぜ免職とするべき程の懲戒事由となるのかをはっきりと示しておく必要があるでしょう。尚,「君が代斉唱時に起立しない=反日」という単純図式は,「反日」の側面から見れば矮小化し過ぎですし,「不起立」の側面から見れば大袈裟過ぎです。
 そもそも「不起立」を問題視する時,その教師の行動自体を問題視しているのか,その教師が「生徒を煽動している」ことを問題視しているのかすらはっきりしない意見が多いのです。例えば自分は「不起立」しないけれども,生徒を起立するように指導する程の能力がない教師は「反日教師」に当たるのかどうか。また,自分は「不起立」をしないけれども,生徒に不起立を指導する教師はどう評価するのか。はたまた自分は「不起立」だけれども,生徒には起立斉唱するように指導している教師はどのように扱うのか。疑問は尽きない訳です。
 



 また,上田の発言は「嫌い」とか「嫌」という「感情を持っている」に過ぎない教員に対して「辞めたらいい」としている点で問題があります。
 そもそも「県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない」のは「嫌い」とか「嫌」という感情そのものではなく,その感情を持っていることによる行動ですから,如何に感情と行動が密接に連動しているかも知れないとしても,感情の方に言及するのは筋違いなのです。
 例えば,如何に国旗や国歌に対して嫌悪感を持っていようと(上田の言い方では,国旗や国歌のデザインや曲調が嫌いというのもここに含まれることになるが),それだけで「教員を辞めたらいい」とか言われる筋合いはない訳で,明らかに言い過ぎなのです。

 それとも,国旗や国歌は絶対不変のもので,違和感を持つこと自体が許されないとでも言うつもりなのでしょうか。
 こういうケースを考えてみればよく分かります。もし国旗や国歌が死ぬ程嫌いでも,「お役目だから」と仕事の時には式典の次第に従って国歌を斉唱し,生徒にもそのように指導している公立学校教員,そんな人は「国旗や国歌が嫌い」という理由でその職を追われるべきなのかどうか。
 私は,役目を果たしている以上,このような理由で職を追われるべきではないと思いますがね。そう考えると,やはりこの発言が,思想の自由に踏み込んでいて不適切だと捉えられることは不自然ではないと思うのですがね。


 さて,共産党の県議団は早速これに反応したようです。時事ドットコムの記事にはこうあります。
 これに対し、共産党県議団は「思想と良心の自由を定めた憲法19条の規定をないがしろにするもので、700万県民の代表にふさわしくない危険な発言だ」とし、撤回を求める談話を団長名で発表した。


 「団長談話」を見ると,「日本の国旗が嫌いだとか、日本の国歌が嫌いだというような、そういう教員はやめるしかないんじゃないですか」という部分を問題視しているようで,これが「憲法第19条に抵触しかねない重大な発言」だとしているようです。
 確かに,「700万県民の代表」の発言ですから,この発言はそれなりに大きなpowerを持つ訳で,問題が含まれていることは感心できることではありませんが,上田の発言に関するフォローアップをもう少ししてから談話を発表しても良かったのではないかと思います。

 と言うのも,東京新聞Webには7/2付でこのようなことも書かれています。
 上田知事は答弁後、記者団に「基本的には国旗国歌というより、ルールに従わない人が人々を率先垂範できない」と話した。

 まあ,このレベルに抑えてあったならば,発言自体はそれほど問題視するべきでもなかったということでしょう。「ルールに従わない人が人々を率先垂範できるのか」という疑問を示したものであるとすれば,それはそれで耳を傾ける価値くらいはあるというものです。答辯は何かと感情が入って表現過剰になる可能性があるので,後からのフォローも含めて見る必要があるのではないでしょうか。
 上田の発言が,こういうことを意図したものであるとすれば,やはり発言の一つだけを捉えて談話を出した共産党県議団の反応は「過剰反応」になってしまっているでしょう。

 さらに,共産党県議団は国旗国歌法(談話では「国歌・国旗法」)の成立当初の問題にまで踏み込みました。共産党県議団としては,国旗国歌のそもそも論にまで踏み込んだ発言をしたつもりだったのでしょうが,その結果「上田は国旗国歌を強制するつもりである」ということを植えつけたいような形になってしまい,本来の「思想・良心の自由」からは焦点がずれてしまったようです。この辺り,共産党県議団も問題の所在を把握しきれていないのではないでしょうか。



 さて,coffeeは「「思想と良心の自由」の「制約」は正当だ」などと言っていますが,これは大きな誤謬を含んでいるものと言わざるを得ません。思想や良心は人の内面の問題であり,そこに権力が踏み込むことは何があっても許されることではありません。思想と良心が制約されることは,まずそれを測る手段がないことによって,またそれ自体が外部に影響を及ぼし得ないことによって,あり得ないことなのです。
 まあこれは,coffeeが引用している百地章の文章が悪文であることに由来するものなのですが,「国歌斉唱時の不起立」を問題にする場合,制約を受ける(可能性がある)のは「表現の自由」の方であり,coffeeは明らかに取り違えています。表現の自由は公益に対して制限を受ける可能性がありますが,思想と良心の自由は公益に反することがあり得ないので,それを制約することは許されないのです。
 coffeeの引用する百地の文章には「外部的な行為となって現れる場合」に制約を受けるとされていますが,外部的な行為となった時点で已にそれは思想や良心そのものではなくなっているので,それが制約される(可能性がある)ということと「思想と良心の自由の制約」とは已に同一ではないのです。それにも関わらず百地は「思想、良心の自由の「侵害」と「制約」とは別」としてしまったのです。「思想や良心」が内面的なものである以上,侵害と制約は同じことを指す(ある思想を持つことを制約するのが侵害である)のであり,別になるということはないのです。
 つまり百地の文章自体に,思想が行動と同じレベルで語られているという大きな矛盾があるので,先に挙げたcoffeeの意見には大きな誤謬が含まれているという訳です。「思想と良心」はあくまでも人の内面にあるものなので,それが「外部的な行為となって現れる場合」に問題を含むときに,「外部的な行為」を制約することがあり得るとしても,「思想と良心の自由」を「制約」することは不当であることに変わりはないのです。

 coffee自身も混乱しているのは,以下の文章からも分かります。
法律が国民に対して義務(制約)を課している場合には、それが思想・信条と異なるものであっても、国民はそれに従わなければならない。

 ここで言っているのは,自らの思想・信条と異なる義務であっても従わなければならないということです。ここで,「従う」は行動であり,外部的な行為です。一方「思想・信条を持つ」は内面のものです。ここでは義務の存在によって,内面と外面とで食い違いが出てくることを甘受せよと言っているのですが,内面の思想・信条を制約されることについては何も言っていません。あくまでも,義務の存在によって,内面の思想・信条を,外部的な行為に直接反映することが許されない(ことがある)と述べているだけです。
 さて,なぜcoffeeは「「思想と良心の自由」の「制約」は正当だ」などと言っているのでしょうか。



 教育情報発信センター21にはこんな意見が。
この時期にことさらという感じでまたぞろ「日の丸・君が代」を持ち出したという印象。宮崎県知事を担ぎ出すという行動同様に、政権交代が目前に迫ってなりふりかまわぬ自民党の「空騒ぎ」の一環か。

 この意見が京都新聞を基にしていて(と書いてある),今回京都新聞が共同通信の記事を参照したもの(と書いてある)なので,この質問が民主党の県会議員から出されたものだという重要な部分が抜け落ちているようです。時事通信では7月1日の段階で已に「民主党議員からの質問に答えた」旨が示されていますので,別の情報を見ればこのような意見は出てこないと思いますが。
 さて,ここから見えるのは,「日の丸・君が代」に関する議論は,7月のようなそれにあまり関連しない時期に持ち出すと「ことさら」であると考えられるということと,「「日の丸・君が代」に関する不起立問題」を持ち出すのは自民党に違いないという思い込みでしょうか。この問題は与野党の対立軸で捉える性質の問題ではなく,「国旗・国歌」、「国旗・国歌法」、「日の丸・君が代」(それぞれ意味範疇が異なる)の関連の中でどのような立場を取るかという問題が含まれているので,誰が発言したかに関する情報を精査する必要があるのですが,これはあまりにも勇み足。「空騒ぎ」したのはこちらの方で,悲しいまでの条件反射的な反応と揶揄されても仕方ないでしょう。




 今回webに検索を掛けて,色々と意見を見てみましたが,読む価値のあるものと言えばmilk-cookies_1983氏の記事くらいでした。と言うか,私が上で述べたようなことは大方網羅されていますので,これを読めば私が物言う必要もないかなと思ったくらい頷けたのですが,そこは物言いたい性分ということで。

 まず,私立学校の教員についての危惧があります。言われてみればそうかなと思う節もありますが,時事の記事には「県立学校の式典で君が代斉唱時に起立しない教員がいることについて」とあるので,今回これが前提にあると考えても良いでしょう。もちろん,私立学校を含めた一般的な話に膨らませたという可能性は残りますが,その場合にはおそらくマスコミがその旨を書くのではないかと思いますので。

 さて,cookie氏は「公立学校で働く教員は、一人の人間である前に、国家に仕える公務員であることを忘れてはならない」と書いていますが,これはいささか奇妙なことです。人はそもそも「一人の人間」なのであって,公務員という後天的な要素がその前に来ることはあり得ません
 公務員という要素はあくまでも「一人の人間」の後に付与されるものであり,また,そうであることによって,公務員に加えられている制限が付与されると考えるべきなのです(公務員は「人」であることが前提条件となっている)。
 これは,「一人の人間である」ことを絶対視し不可侵のものと考えてしまったことによって,これが単に人の基本的な属性でしかないということを忘れてしまったことによるのではないでしょうか。まあ,先天的要素と後天的要素をどのように描くかの差が,表現として現れた時に違和感を覚えさせているだけなのかも知れませんが。

 そして,cookie氏は記事の最後にこう述べます。
 いずれにせよ、私からすれば、上田知事の発言賛成派も反対派も、互いに主張が噛み合わない上に主張が極端であるように思えてならない。これではいつになっても両陣営がいがみ合ったままで、問題の解決に向けて現状が動き出す日は遠いだろう。

 これは全くその通りなのですが,両陣営(陣営と呼べるかどうかはともかくとして)ともに問題を解決しようという気がないというか,自分の側に問題がないと思っているというか,自らが歩み寄るという選択肢を持っていないというのが大問題なのでしょう。

 そもそも国旗国歌教育は学習指導要領上やることになっているのですが,「国旗や国歌について教えること」と,「日の丸や君が代について教えること」とは,日本人にとっても同価ではない(非日本人にとっては当然同価ではない)ということについての自覚が,両陣営とも(これはおそらく上田も)足りないのが実情ではないでしょうか。
 これは非常に分かりにくいことかも知れませんが,「国旗や国歌について教えること」が国旗や国歌の果たす役割,またその扱いが外交上どのような行為となるのかという一般的なことに言及するものであると考えれば,日本人にとっても同価ではないということは分かりやすくなるのではないでしょうか。
 つまり「国旗=日の丸」、「国歌=君が代」であるとしても,「国旗や国歌について教えること」に一般的な国旗や国歌に関する話が含まれる以上,それは「日の丸や君が代について教えること」と同価ではないということになるのですが,学習指導要領がそれを踏まえていないということによって,この自覚が足りないということになっているのではないでしょうか。




参照
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現:国旗や国歌が嫌いなら辞めよ!起立しない教員に上田清司埼玉県知事・正論だ!・「思想と良心の自由を定めた憲法19条をないがしろにする」共産党・思想と良心の自由の「侵害」は禁止だが、「制約」は正当だ!
 http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/41169959.html

時事ドットコム:「国旗・国歌、嫌いなら辞めよ」=起立しない教員に−上田埼玉知事
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date3&k=2009070100819

東京新聞TOKYO Web:『国旗国歌嫌いなら辞めるしかない』 教員不起立問題で知事
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20090702/CK2009070202000083.html

日本共産党埼玉県議団:日の丸・君が代問題に関する知事答弁について(団長談話)
 http://www.jcp-saitama-pref.jp/html/menu01/2009/20090702171621_5.pdf (※PDF)

教育情報発信センター21(ice21)
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/mojya96/ (2009年7月1日分)

京都新聞Web:「国歌嫌いは辞めるしかない」教員不起立で埼玉県知事
 http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2009070100224&genre=A2&area=Z10

ひとり井戸端会議:上田知事の発言について
 http://blog.goo.ne.jp/milk-cookies_1983/e/0c4fa0d6790e5f3aa8dd57e62682e0ac

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
日本の国旗や国歌が嫌いなら、教師になるな!
つーか、日本から出て行け!
傑作
TB

deliciousicecoffee
2009/07/04 08:18
>coffee氏
 できれば,質問に答えていって頂きたかったなあ…。
Eric Prost
2009/07/08 14:19
ひとり井戸端会議の者です。
遅ればせながら私の拙稿を取り上げてくださり、ありがとうございました。
私は学校行事における国旗・国歌の掲揚・斉唱には賛成の立場ですが、それはあくまでもこれに反対する教師が公務員であるからです。(「人はそもそも「一人の人間」なのであって,公務員という後天的な要素がその前に来ることはあり得ません」という指摘は仰る通りであり、この場をお借りして訂正させていただきます。)

貴殿の他の記事も拝読させていただきましたが、どれも視点が面白く示唆的で勉強になりました。これからも度々お邪魔させていただきたいと思います。
cookie
2009/07/10 17:33
>cookieさん
 ありがとうございます。拙文が何かの参考になれば幸いです。
Eric Prost
2009/07/13 10:24

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