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zoom RSS 生かすために殺すのか?

<<   作成日時 : 2009/06/18 22:27   >>

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 改正される前のこの法律が通り,臓器提供意思表示カードが世に出回るようになった頃,すなわち11年前,大学のある授業で臓器提供意思表示カードが配られました。
 その時カードを配った教授曰く「臓器移植法という法律のことを考えて欲しいからカードを配ったのであって,臓器を提供するに○を付けろと言うのではない。そこは君たちが考えること」と。

 当時私はちょうどそのカードが欲しいと思っていた(が,カードが出回ってなくて手に入らなかったのです。今でこそどこででも手に入るのですがね)のです。臓器移植法については,当時も今も,メディアの説明での知識が主になっているのですが,当時からこの法律については疑問があったので,私の臓器提供意思表示カードは3番に○が付いています。
 今,臓器提供意思表示カードは色が入り,どこに○を付けるべきかが分かりやすくなっている(と思われている)のですが,私の持っているカードは初期のものなので,裏面は黒一色です。そして,私のカードの署名日付は1998年5月25日となっています。そして,それから11年,私はこの意思表示を変更しようと思ったことは1度としてありません。


 そして今日,より凶悪さを増した改正臓器移植法のA案が衆院を通過しました。このA案は,悪罵として言うならば,殺人法案とも呼べるものです。なぜなら,現行の臓器移植法が触れなかった「臓器提供の場合以外の人の死」を,なぜかこの法律が決定するという,「人の死」という元来臓器移植のみに帰結しない問題について,矛盾に充ち満ちた法案だったからです。
 なぜ臓器移植法で人の死が定義されなければならないのかということについて,今回の改正案もA〜D全てで触れているように見えませんが,A案は「臓器移植の場合のみ」という限定を外していることからも,悪質さが際だっているのですが,それについてどこまで議論が進められたのか,また,各議員がどこまで自分の意見を表明できるのか,それは疑問のままです。


 さて,今回改正の議論が行われたことで,改めて臓器移植法に持っている疑問(違和感)が何であったのかについて考える機会を得ることになり,そして,今回は一応の答えを見つけたと思っています。


 私が臓器移植法について持っていた疑問は次の通りです。
 臓器移植法という「人を生き長らえさせるための法律」で,なぜ「人の死をどのように決定するか」が決められているのか。


 そもそも「人の死」は各人の死生観が表れる問題であり,それゆえにそれは本来「死」について考える為の法律で定義付けられるべきものなのに,それを「人を生き長らえさせる」という死と逆方向の目的を達成するための法律で定義付けるのは,殊更に「死」を隠蔽する死刑論議と何ら変わらない「死」をできるだけ遠ざけて触れさせないようにしようという隠蔽工作を感じざるを得ないのです。

 事実,2009年5月10日付の朝日新聞では,慶應の法科大学院の井田という教授が,「「脳死は一律に人の死」と定めない限り、臓器移植が進むことはないでしょう」と述べていますが,なぜ臓器移植を進めるために「人の死」を「脳死の段階」と定義しなければならないのでしょうか。そもそも人の死の問題は臓器移植を進めるためにあるのではありません。臓器移植を進めるために人の死を決定しなければならないという議論の進め方自体に問題があるということを,井田は法科大学院の教授でありながら(いや,法科大学院の教授でしかないからというべきか)考えもしていないのです。井田が言っている臓器提供が遺族の心を癒すかどうか,これは人の死をどう定めるかと関連する問題ではない,無意味な意見でしかないのです。


 忘れてはならないのは,臓器移植と人の死を関連づけたのは近代の人間でしかなくて,本来この2つには何らの関連性もないということであり,それゆえに臓器移植法で人の死を決定するという「ウルトラC」にはより慎重な議論が求められるということを,臓器移植を推進したい人たちは全く忘れてしまっているということです。


 慶應の井田にしても,阪大の福嶌にしても,そもそものところでこの議論がおかしいということに言及しないのです。特に井田は法科大学院の教授と言うことですが,医学にはどれくらいの造詣があるというのでしょうか。法律論だけで脳死を語れると思っているとしたら,それは大きな間違いと言わざるを得ないでしょう。


 まあ,世の中には「臓器移植してまで生きたいか」と臓器移植を希望する人たちを批判する人も居ますが,私は臓器移植を希望すること自体を否定はしません。しかし,前回にしても今回にしても,国会で可決される臓器移植法案は,人を生き長らえさせるために人を殺す定義付けをするという,それこそ「殺人法案」でしかないのは確かです。もし,臓器移植の推進によって我が子などを助けたいと思っている人たちが,とにかく臓器移植の推進さえ叶えば良くて,死に行く人がどのように死を定義されるのかなどどうでも良いと考えているのならば,その人たちのために臓器移植を推進させるべきではないと言うべきでしょう。元来脳死臓器移植は脳死の人が居てこそのものであり,臓器移植を希望する人たちが主役を張っているような考え方は,議論が逆転しているのですから。


 coffeeも臓器移植法改正A案には反対しているようで,以下のような懸念をWeblogの記事に書いています。
臓器をほしがる連中が、脳死した子供の親に対していろんな圧力をかけることが懸念される。

ヤクザが商売の臭いを嗅ぎ付けて、闇の臓器マーケットを作って金儲けに利用するかもしれない。

過去においてマスコミは、病魔と闘いながら移植を待つ可哀想な患者の方ばかりを偏向報道してきた。


 coffeeの懸念は他にもありますが,私はそこに通底しているのが「医者への不信」ではないかと思います。つまり,coffeeの言う「臓器をほしがる連中」に含まれる医者が,臓器を手に入れるために手段を選ばないのではないかという疑念また,臓器がどのような経路で手に入ろうが,とにかく手に入ればよいと考えるのではないかという疑念,それが今回の改正案においても払拭されていないということを示しているのではないかと思います。

 私もその疑念を払拭できていません。それどころか,阪大の福嶌(キャンパスの場所が違うから言いたい放題にしてやる)のように,その疑念の払拭には欠片も関心を払わない医者(医学関連者)が,とにかく臓器移植を推進したいと改正案に乗っかるというのは,誠に片腹痛いのです。
 臓器移植を推進したい医者がまずやるべきは,過去の臓器移植や現行臓器移植法で失い,回復できていない医者への信頼を回復させることであり,「とにかく臓器移植推進」と動くことではないのです。


 この法案について私は,参議院で否決されることを望みますが,臓器移植という事象に重きが置かれ,死の定義という本来この法律で語るべきではないことがかくも簡単に定義されてしまうという,この法案が持っている問題点に言及することのない否決であるならば,それはあまり意味の無いものであると考えます。死の定義を生き長らえさせるための法律で決めるというのがどのような位置付けで語られうるのか,もう1度じっくりと考えても良いのではないでしょうか。


参考
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現:移植関連団体「A案採決を」・ちょっと待て、本当に臓器提供に同意していない子供から動いている心臓をなどを切り取るのか?・脳死判定後の回復事例・脳死体は手を動かし涙を流す「ラザロ徴候」
 http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/40121972.html

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臓器移植法案「A案可決」衆院で賛成263票、反対167票・「脳死は人の死」と一律に死を定義・参院で審...
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内 容 ニックネーム/日時
脳死者は、呼吸をし、心臓も動き、体も温かい他、手などの上半身を動かしたり、涙を流したりもします。
子供の場合には、脳死判定後に脳死状態が何年間も続き、身体も大きくなっていくようなケースも多いです。
脳死体は、無呼吸テストの際や、切開して臓器を切り取ろうとする際に、手などの上半身を動かしたり涙を流したりします。
更に驚くべきことには、脳死判定後に回復(生還)して普通の生活に戻った事例も複数あります。
2007年には、米国で脳死と判定された青年が臓器摘出手術の直前に手足を動かし、集中治療の末に意識を回復したという事例もありました。
彼は脳死と判断したときの医師の言葉を聞いて記憶していました。
本人の同意なしで動いている心臓などの臓器を切り取るのはおかしいです。
傑作
TB
脳死判定後に生還(回復)したケースも
2009/06/19 08:10
TBできない
deliciousicecoffee
2009/06/19 08:11
>coffee氏
 こちら側のシステムで止まっていました。
Eric Prost
2009/06/19 20:06

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