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zoom RSS 死刑廃止論への疑問

<<   作成日時 : 2009/04/02 12:19   >>

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 鳩山邦夫が法務大臣に就任して以降,死刑執行の概要が報告されるようになり,改めて死刑の存在を知り,考える機会が得られたわけですが,死刑の必要性については意見が分かれているようです。

 死刑が必要であるという根拠の主なものとしては「遺族感情」*1と「犯罪抑止効果」が挙げられます。しかし,当然ながら「全ての」被害者/遺族が死刑を求めるわけではありませんし,全ての犯罪を抑止できるわけでもありません。また,法定刑に死刑が含まれない犯罪の被害者/遺族が死刑を求めることもあるでしょうし,死刑が無くても犯罪抑止効果があるかも知れません。それは押さえておく必要があるでしょう。

 私は,現時点の日本において死刑を廃止することには反対しています。理由は現状を鑑みるに,死刑を廃止することによって,日本からますます社会から「死」や「殺」の存在が隠蔽され,「死」や「殺」について考えることがなくなるのではないかと懸念するからです。

 私が死刑廃止に反対する理由は思想的なものなので,「死」や「殺」を隠蔽している現在の死刑執行体制が「望ましい」ものとは思っていません。拘置所の奥深く,一般の市井に住む者が決して目にすることができないような所で,ひっそりと死刑を執行*2し,最近でこそ法務省が執行状況を報告していますが,これまでは死刑が行われたことすら知らされることがないという,徹底的に「死」を隠蔽した扱いが為されています。このような状況下では,私が死刑に期待する効果は非常に限定的で,死刑が存在するということによってしかその効果が期待できないのです。


 さて,死刑は非常に矛盾に満ちた刑罰ではないかと思います。
 「社会」という視点から見れば,その構成にとって脅威となる者(反社会的分子)の排除において最も効果的な手段が死刑(最もコストが低い社会からの永久追放:「社会は間違えない」という前提の存在と生かすために物資を費やす必要がないこと)であり,また,「犯罪抑止効果がある」とも言われています。しかしこの考え方も問題があり,最近の哲学では無批判に「社会は間違えない」とは言いませんし,「犯罪抑止効果」についても「死刑があろうとなかろうと,社会構成員の大多数は罪を犯さない(ルールを守る)」ということは忘れられているのです。

 そして,刑罰としての死刑が持つ矛盾は次の2点でしょう。
 1. 刑罰である以上,「殺してくれ」と言う者に死刑を与えるのは,本来刑罰という願望を制限するものによって,それを制限されるべき者の願望を積極的に叶えることになるということになるため,「死刑になりたい」という「凶悪犯」死刑を与えるのは却って無意味になります。
 2. 日本では,死刑は「更生不可能な者に対して」下される場合が多いのですが,犯行もしくは判決以後,人間的更生を遂げた者でも死刑の執行停止が行われることはありません。ここでは,更生の可能性があれば死刑が回避される(場合がある)のに,更生した者を死なせるという矛盾が存在しています。これは日本における死刑執行に関する思想が持つ矛盾かも知れません。

 本来刑罰は行為と結果に対して与えられるべきものということなので,「社会的制裁を受けた」はともかくとして「反省の態度」や「後悔の念」があるからといって刑罰を軽減するのは,法治体系としてあるべき姿とは言えないとも考えられるのです。


 そもそも「死刑廃止論者」と「死刑存置論者」という二分法に無理があるのです。死刑存置論者には,単に死刑廃止による影響を心配し,影響が発生しない死刑存置を主張する者も居るでしょう。また,死刑の意味づけを考えれば,死刑に期待する効果が他の刑で得られるならば死刑を廃止しても構わないと考える者も居ます。逆に死刑の積極的運用を主張する「死刑推進論者」とでも言うべき者も居ます。もちろん死刑廃止論者にも種々の考え方があり,1つに括ることが難しいのですが,「死刑への反対」と「死刑以外でもその効果が得られる」という2つに大きく分けられるでしょう。そうなると,「死刑存置論者」の一部と「死刑廃止論者」の一部は連係できることになり,死刑の考え方を深めることもできるでしょう。


 さて,死刑廃止論の弱い部分は,積極的に死刑廃止を根拠付ける意見を持っていないところです。まず,死刑が犯罪抑止力になっていないというのは,「死刑推進論者」のうち,死刑による犯罪抑止力を主張する者にとっては都合の悪い情報ですが,死刑による犯罪抑止力を根拠としていない人にとってはどうでも良い情報で,しかも死刑廃止論にとっては積極的な理由になっていません。
 また,「命を奪う権限は誰にもない」ことと「国家による殺人」とが矛盾しないのも大きな問題です。この考え方そのものが単なる「人間絶対至上主義」とでも言うべきものであり,個人の上に社会を置く考え方から見れば,「個人には他人の命を奪う権限はないが,個人の集合体としての社会は,一定の手続きの後に個人の命を奪うこともできる」と考えることは可能となるのです。

 森巣の様な手合いは「死刑は国民の名でおこなわれる国家による殺人」とまことしやかに言い,一見「死」を現前させているように思われますが,言っていることは死刑になる側の結果のみを見た議論です。しかもそこでの「殺人」は単なる「文字通りの意味」でしかないのに,それを刑罰の対象となる「殺人罪」の「殺人」と何の根拠もなく結び付けています。これは感情的な効果を狙う以外何の効果もないものです。つまり,このような主張は感情論でしかなく,「死」や「殺」の意味を考えるものとはなっておらず,結局のところ「死」や「殺」を隠蔽する思想の下に為される議論の類なのです。
 さらに森巣は殺人を「自然犯罪」(法律で規制されなくてもやってはならない行為)と位置付けていますが,これこそ近代国家以後の非伝統的な思想によるものです。そもそも「法律によらなくても犯罪と思われているもの」自体が,結局は社会の了解によるものでしかなく,如何にそれが人類に共通であるかのように思われているとしても,それは決して「自然」ではないのです(種々の前提あっての「自ずから然り」でしかない)。我々の認識が如何に変わろうとも不変の法則ということではない以上,これを「自然犯罪」と呼ぶこと自体奇妙なのです*3
 それをあたかも「自然犯罪」が自然発生的に存在し,「法定でなくても“犯罪”である」ということを「天賦のもの」であるかの如く考え,あまつさえ無根拠にそれを「国家による殺人」と「殺人=犯罪」とに結び付けたのが死刑廃止論の主流*4です。このような死刑廃止論は,犯罪者をとにかく社会から排除すれば良いと考えるような死刑存置論と同じく,害悪でしかありません。

 また,死刑廃止を「世界の趨勢」と考え,死刑廃止の根拠の1つとする向きもあるようですが,これもあまり感心できない主張です。この考え方では「世界の趨勢」が死刑存置に向いているならば,死刑を廃止しないのが正しいことになります。これは単に「長いものには巻かれろ」ということでしかなく,正しい(と考える)ことは「ひとりでもやる」という主張とは矛盾します。死刑廃止を「世界の趨勢」と考える人は,「国家の軍備」も「世界の趨勢」である*5以上,憲法9条を守り非軍備の主張をするのはおかしいことになるのですが,そこではまた別の意見が持ち出されます。つまり「世界の趨勢」は,自らの主張を補強する手段に過ぎず,それ自体が自分にとって「使えないもの」である場合は口をつぐむだけなのです。


 管見の限り,現状死刑廃止論を唱える者に「死」や「殺」の教育の必要性について説く例が見受けられません。死刑によって凶悪犯罪の現象が期待できないのが確かだとしても,死刑廃止によって「死」や「殺」の隠蔽がますます進むことは確かでしょう。死刑制度の存置によって人々の心が歪んでいるという主張もありますが,単なる死刑制度の廃止もまた人の心を歪ませるのではないでしょうか。



 「村野瀬玲奈の秘書課広報室」というWeblogの記事にこのような「公約」が挙がっていました。
死刑以外の方法で犯罪被害者とその遺族を慰撫し支援する方法を社会全体で考え出すという作業を社会全体に経験してもらう。そのための機会(国民会議など)を設ける。ただし参加を強制してはならない。被害者、被害者遺族への救済を「死刑に頼らず」政策化するためのオープンな国民的論議を起こし、広く提案をつのる。

その作業を通して実際にその方法を見つけること、そして、それを政策として具体化する。

死刑についてすべての論点についてオープンな国民的討議を起こす機会をつくり、十分な時間をかけて討議する機会をできるだけ多く設ける。

一定期間、死刑判決と死刑執行を停止する法律を制定し、オープンな国民的討議を続ける。

無期懲役の現状を広く国民に知らせる。

 「死刑の執行停止」と「無期懲役」に関してはそれなりに分かるものですが,やはり「死刑廃止」以後の対策について具体性が低いように思います。国民会議を設けたところで,参加が強制されないのでは,社会全体を巻き込んだ議論は期待できないので,国民的論議にはなりようがありません。それでいて死刑執行の方はすぐに停止させるのですから,結局「死」や「殺」を隠蔽する以上の効果は期待できないのではないでしょうか。
 そして,このWeblogの他の部分では「遺族感情を理由に死刑制度を肯定するなら、イラク人がアメリカ政府要人や司令官や兵士を殺すことも論理的には肯定しなければ筋が通りません」としていますが,死刑と死と殺人と復讐とを全て混沌の中に落とし込んで訳の分からないものにしておきながら,その責任を遺族感情という自らに纏ろわぬ者の根拠になすりつけて責任逃れをした類の物言いです。死刑存置論者が全て復讐を肯定している訳ではないので,これはそもそも筋が通っておらず,根拠のないデマの類でしかありません。


 いずれにしても,死刑推進論者はより積極的な死刑運用を求める必要を持っているものの,現状では死刑が執行されているので,このまま議論が進まなくても泰然自若としていられます。一方,死刑廃止論者は現状死刑の執行が続いていることに対する不満があるので,とにかく早く現状を変えたいという思いがあるのかも知れませんが,結論を急ぐあまり戦略が粗雑です。
 国民的議論を巻き起こすには,死刑が最も顕著に表現している,犯罪者に対する「社会からの排除」という現状を見る必要があります。「刑罰よりも社会的制裁が重い」と言われることもあるように,日本では一度「犯罪者」と目されると,その後その人がどのように更生するか/その人をどのように更生させるかということには目が向かず,とにかくそれをトカゲの尻尾切りの如く排除してしまえば良いと考える傾向があるようです。
 また,刑罰も「教育目的」である割には,教育効果に関係なく期間が来れば追い出すように刑務所から「排除」し,見向きもしないというのが現状ではないでしょうか。
 さらに我々も,如何にして犯罪者を出さない世の中にするかということにはほとんど関心が無く,どうやって毎日「何事もなく」過ごすかということに興味が向けられているため,一度罪のペナルティを受けた者については,それを徹底的に排除することで,自分の身の回りを「綺麗に」保ちたいという欲望しか持っていないのではないでしょうか。個人的にはそれが許されるのかも知れませんが,積極的に社会に復帰しようとする「犯罪者」に対して社会としてどう向き合うのかを考える場合,排除するということだけでは済まないように思います*6
 最近たまに聞かれる高校への入学拒否なども,所謂「柄の悪い生徒」と「障害を持つ生徒」とでは対応の根拠が違っていると感じるかも知れませんが,根底にあるのは「何事もなく」毎日を送りたいという,自分にとっての「異物」を排除する論理なのではないでしょうか(これで単なる犯罪者論から社会構成の方向へ繋がった,…気になっています)。



 ちなみに,以前死刑存置論者と議論した時,とりあえず意見が合わないということになりました。おそらく死刑廃止論者と議論しても意見が合わないでしょう。死刑の「自分にとっての意味」を考えてみると,どちらとも意見が合わないような気がします。



*1 通常は「被害者感情」と呼ばれますが,死刑を論じる場合,ほとんどのケースで被害者が死亡しているので,普通は「遺族感情」と呼ばれます。
*2 これを「殺人」とは称さず,死刑執行は「機械的に行われる」ことを建前としている筈なのですが,死刑執行(のボタンを押す)者が「人」であり,死刑囚も「人」の形をしている以上,死刑執行者が死刑執行を「死刑囚の命を奪う行為」と考えてしまうのも無理からぬことです。そして,ここにあるギャップが,死刑の問題点の1つであると考えます。
*3 この「自然犯罪」と呼ばれているものは,英語で"natural crime"となるようですが,これはせいぜい不文法と成文法の違いでしかありません。結局のところ社会的了解に基づくものでしかない以上,英語では"natural"と言えるのかも知れませんが,日本語では「自然発生的」ではなく「当然の」程度の意味と考えるべきです。単に「自然犯罪」と聞いた時に,そこまで理解できる者は少ないのではないでしょうか。
*4 アムネスティ然り,「死刑廃止を推進する議員連盟」の議員も然り。目的が「死刑廃止」でしかなくて,「如何にすれば現在死刑相当の罪を犯す者を減らすことができるのか」に対する意見がない(あるとしても空虚な=具体性のない意見しかない)のです。
*5 国軍/与党軍を持っている国家の方がそれを持たない国家よりも多い訳で,現状では国家は国軍/与党軍を持つのが「世界の趨勢」なのです。
*6 当然前提として,受け入れられる者が積極的に社会に溶け込もうとする必要があり,社会の側の片務とする訳にはいかないでしょう。しかし,積極的に溶け込もうとする者を「異物」として排除するだけの社会で良いのかということではあります。



参考
アムネスティ・インターナショナル日本:日本支部声明 : 死刑廃止を求める声明
 http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=493
村野瀬玲奈の秘書課広報室:世界愛人主義同盟公約(5) (不定期連載) (人が殺された後に (2))
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1171.html

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