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zoom RSS ナショナリストの主導権争い

<<   作成日時 : 2009/03/07 01:10   >>

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 門真市の中学校で昨年(2008年)の卒業式での国家斉唱時に生徒は1人を除いて,他に数人の教員が起立しなかった事象で,校長と教諭1人が文書戒告、教諭7人が口頭厳重注意の処分を受けたとのことです。

 さて,それを受けてcoffeeが記事を書いています(「「君が代」集団不起立教諭9人処分…」)。文書戒告を受けた教諭によるある集会での話を抜粋して批判しているのですが,内容に入る前に一言:「(例え飛ばし見にしても)ご苦労さんなことで」。その教諭の話というのが,coffeeの挙げたリンク先からさらにYouTubeにリンクした上でないと見ることができないものだったのです。この教諭の話だけでも全部で12分程ある訳で,それを見て書いているということだけでも手間が掛かっているので,その点は評価しても良いかも知れません。


 しかし,不起立教師を「狂っている」と評したcoffeeの方が実に狂っていると言わざるを得ないのが以下のような言い方です。
国が攻撃されて自分の親兄弟をはじめとする自国民が殺される時に、命をかけて戦う人間を育てるのが教育だ。

 国が攻撃されるような事態が発生しなかったら何の意味も持たないようなものにまで,教育を矮小化されてたまるか。たとえそれが目的の1つとしてあるとしても,こんなことの為だけに教育をされては,根本の「国」の方が保たなくなること位分からないのでしょうかねえ。


 さらに,こういう部分にはcoffeeの「国」に対する考え方が見えてきます。引用部分を見れば分かるように,coffeeが考えている「国」というのは,「親兄弟」に代表される(明らかに虚構の)「血族的なまとまり」によって形成されるnationによって構成されるnation-stateのことです。
 それが攻撃されること,さらには,それによって「自国民」が殺されることを想定している訳ですが(ここの考え方にも議論の余地はありますがここでは触れない),ここでcoffeeのような手合いは,こういう事態がやってくることによって「国」の存続が危機に瀕すると考えているようなのです。これは,「国」の永続性に対する不信に他なりません。つまりcoffeeのような手合いは,「国」を守ることに執心するあまり,「国」の存続の可能性に対して大きな不信を持ってしまっているのです。
 もしこのような手合いを「愛国者」と呼べるのだとしても,そこにあるのは「積極的な愛情」ではなく「消極的な感情,言わば失うことへの恐怖」なのです。

 ところが,coffeeのような手合いが批判する所謂「反日」,日本に限らないとすれば「反ナショナリズム」の手合いに共通しているのは,coffeeも指摘しているように,公務員や国会議員など公職に就いている者が多いということです。でcoffeeは,「反日」と呼んでいることからも分かるように,こういう手合いが税金から給料を貰っていることに矛盾がある(「国」に属している者が「国」を攻撃/口撃する=内憂的要素)と感じているようです。しかし,「反ナショナリズム」の手合いをよくよく見てみれば,自分が税金から給料を貰っていることについて何の矛盾も感じていないのですから,「国」の存在を否定している訳でないことは一目瞭然な訳です。それどころか,「国」の影響力について議論し,その影響力を少しでも落とそうとしていながら,「国」の永続性については何の疑問も持っていないのですから,むしろこういう手合いの方がcoffeeのような手合いよりも「国」を信頼している(何の補償もなくても不滅性を信頼している)と言うことができるのではないでしょうか。
 そうなると,「反日」と呼ばれている手合いの方が,「失うことへの恐怖」がない分,「国」に対する「積極的な愛情」を持つ余地があるのではないかとも言える訳で,「愛国者」の肩書きも「反ナショナリズム」の方に引き寄せられる可能性が出てきます。

 つまり,「愛国者」だったはずの,coffeeのような「ナショナリスト」と呼ばれる手合いが,実は「国」に対しての信頼が薄く,「反日」とまで呼ばれ,自らも「反ナショナリズム」だと言われて否定しないであろう手合いが,実は「国」の存在を無条件に信頼しているという,何とも「奇妙な逆説」が登場することになるのです。


 つまり,coffeeのような「ナショナリスト」と呼ばれる人たちと,それが「反日」と呼ぶ人たちとの鞘当てというのは,「ナショナリスト対反ナショナリスト」の構図によって語られるものだと思われているのですが,実はそうではなく,「国」の存在とその中身について議論などされておらず,「国」の存在を自明とするもの同士,即ち所謂「国家主義者」同士の主導権争い,言わば「ナショナリストの内ゲバ」の構図によるものでしかないのです。
 ここで本当に「反ナショナリズム」が絡むとすれば,「国旗・国歌」の必要性ではなく,それを持つところの「国」つまりはnation-stateそのものの必要性への議論となるのでしょう。「国」の存在が自明であるかどうか,もしくはさらにそれよりも深い(根源的な)次元での話が必要とされるのです。


 さて,この記事の中でcoffeeはYahoo!掲示板への投稿(これ自体が文章の構成が滅茶苦茶で,どこが誰の意見なのかさっぱり分からないものになっているのですが,それはともかく)を引いて、「国旗・国歌教育の必要性が良く分かる素晴らしい投稿だ!」などと言っているのですが,coffeeがこんなことを言っていて良いのかなと思う訳です。
 また,「日の丸・君が代」に関しては委員長のWeblogでも「こんなのね「どこの国へ行っても」国歌斉唱時に規律する事は「常識」です。」*1と書かれている訳ですが,それも無前提であっては困るのですよね。

 「国旗・国歌へ敬意を示す」こととは一体何であるのかということを理解せずして「国旗・国歌への敬意」を教育しようとしたところで,効果が上がるはずもないのです。それに,そもそも「国旗・国歌の無条件尊重」が自明のことかどうかさえ問われなければなりません。
 もしそれさえ問う必要がないのならば,チベット人が如何に抑圧されていて中共への反感を持っていようと,中華人民共和国の国旗・国歌を尊重しなければならないことになりますし,「中華人民共和国の国旗・国歌への忠誠が嫌ならば,チベットから出て行けばよい」という論理が通用することになってしまいます。
 そもそも国旗や国歌とは何なのかが理解されていないように思います。これは「国」(が統合されていること)の象徴として,国を代表するものとして提示するものです。またそれに敬意を払うことは,その国の存在を肯定し,尊重していることを示すものです。ゆえに国際関係において国旗・国歌が尊重されるべきものとして扱われるということが自然なこととして受け止められているのですが,それでは全ての「国」がその象徴を受け入れられるほどに統合されているか,あるいはその国旗・国歌の制定過程に問題がなかったと言われれば,それは疑わしいものもあると言わざるを得ないのです。
 虚構のnationによるnation-stateに付きものの「奪われた民族のアイデンティティ」の問題を抱えた「国」の国旗・国歌が,内側からも外側からも無条件に尊重されるべきものだとしたら,それは実際に「国」がどうであるかということよりも「国」という形式を重視した,とりあえずでも何でも「国」を作った者勝ちという論理を通用させるものでしかありません。
 まあ日本がそこまで内部統合のできていない「国」でないことを自明としている手合いからすると,そこらの議論は跳躍しても問題ないと考えるのでしょうがね。
 ただ,その部分の考察を全くしてしないままに「国」の存在を自明のものとしているcoffeeのような手合いは,実は「国」について考えることすらしたことがないとしか捉えようがないのです。その証拠に自らが愛してやまないはずの「国」に対して固まり程の不信をぶつけているのですからね。


 しかし,これだけ書いてきて,そもそもの問題が何だったのかということに戻ると,そもそもの問題は「国家斉唱時の起立を職務命令で強制することは違法か否か」であって,国旗・国歌法への対応や国旗・国歌に対する姿勢は全て傍論だったということには気付いておくべきでしょう。
 また傍論に終始する限り,各「国」の国旗・国歌に対する個々人の心情の発露は,どこでどのように認められるのかという問題も,国旗・国歌についてどのように教えるのかも,解決されないんですよねえ。


*1 原文のまま(改行を省略)。明らかに「規律」は「起立」の間違いですよね。


参照
・正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現:「君が代」集団不起立教諭9人処分・門真三中の昨年の卒業式・文書訓告処分受けた川口教諭「国のために命を投げ出す子供を育てる」、「『日本人は他の民族より優秀』と教え込む」、「不起立を今後も貫く」と宣言
 http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39222909.html

・『 これでいいのか?委員会 』 : 小沢民主を信じれない理由は…:《文科相「国歌斉唱は起立常識」》でいいのだ!!!
 http://blogs.yahoo.co.jp/master3511/27387495.html

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内 容 ニックネーム/日時
>>>「君が代強制の先には、国のために命を投げ出す子供を育てるという目的がある」

>>国が攻撃されて自分の親兄弟をはじめとする自国民が殺される時に、命をかけて戦う人間を育てるのが教育だ。

>国が攻撃されるような事態が発生しなかったら何の意味も持たないようなものにまで,教育を矮小化されてたまるか。

戦争が起こることを前提としているのは、文書訓告処分を受けた「川口」という名前の50代の男性教諭だ。
門真三中に行って、川口に言ってやれ。
deliciousicecoffee
2009/03/08 02:12

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