Eric Prog

アクセスカウンタ

zoom RSS 「田母神論文」は如何に批判されるべきか

<<   作成日時 : 2008/11/04 14:38   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 7

 更迭された田母神航空幕僚長の論文,APAグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文に提出され,最優秀藤誠志賞を受賞したという代物です。APAのホームページからダウンロードすることができるので,現物を読んだ人もいるようで,私も現物を読んでみました。

 …率直に言って,これ論文なんですか?
 まず題目の「日本は侵略国家であったのか」に関連する議論,それは1ページ目の1段落目,たった13行で終わってしまっていて,その後は,最終の9ページ目まで延々と周縁の議論に終始しています。肝心の「日本は侵略国家であったのか」については最後にちょっと「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」と書いているのですが,それまでに述べている内容とその結論とが全くつながりを持っていないのです。

 そもそも,題目からすると,歴史学的な方法による論文なのかと思いたくなるのですが,引き合いに出している書物等の著者がユン・チアン、黄文雄、櫻井よしこ、岩間弘、秦郁彦、渡部昇一、福井義高と,歴史学者が非常に少なく(秦氏のみ),歴史研究的な意味合いも薄いので,政治的主張を述べるための論文と捉える方が良さそうです。
 そうなると,この懸賞そのものが「真の近現代史観」と銘打ちながら,歴史研究を目的とするものではなく,実際には政治的主張のためのものでしかないのではないかという疑問を持たざるを得ません。

 さらに,最終段落は田母神氏の思い込みだけで成り立っています。特に際だっているのは以下の部分です。
 人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる

 そもそも「人は…愛するものである」という理論は一般論なのでしょうか。「特別な思想を注入されない限り」と但し書きを付けていますが,自国あるいは故郷を愛する思想は「特別な思想」とは言えないでしょうか。
 国というのは一つの共同体です。また故郷も,自治会であれ村であれ町であれ市であれ,結局のところ共同体に帰結するものです。ここで,共同体はその存続を図るため,成員に共同体を存続させるような思想を持たせようとします。それは「共同体を存続させる」という目的を持った特別な思想です。それすら注入されていない状態,すなわち全くの自然状態で,人は自分が生まれ落ちた共同体を何の前提もなく守るというのは,いったい何の理由があってのことでしょうか。
 ある人がその所属する共同体を「愛する」とき,そこでは自己の利益と共同体の利益が合致していることになります。ここでは,「個人」と「共同体」が同化しており,個人の利益がその所属する共同体の利益へ投影されています。もし,それが共同体によって仕組まれているのであれば,共同体はそれによって共同体の利益を守ろうとしていることになります。

 このように,「個人」と「共同体」とが同化するという「特別な」考え方があって初めて,人はその所属する共同体の利益を守ろうとするのであり,「自然にそうなる」のではありません。田母神氏は「人が自己の所属する共同体を愛する」ことを検証なしに前提としており,思い込みと言わざるを得ません。

 さらに後半部分で「歴史的事実を丹念に見ていくだけで」と言っていますが,田母神氏は歴史的事実の表層の一部しか踏まえておらず,到底「歴史的事実を丹念に見て」いるとは言えず,歴史学の常識は踏まえていないのです。
 田母神氏は論文中で旧帝大を例に挙げ,6番目の帝大と7番目の帝大がそれぞれ京城と台北に造られたという事実を以て「現地人の教育に力を入れた」としています。また,当該記述のすぐ後に「日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた」とは書いていますが,帝大の入学資格に関しては言及していません。
 ここで,「丹念に見ていく」のならば,例えばその帝大にどのような人が進学し,どのような教育を受け,その後どのような進路を歩んだのかというような,より多くのデータを「見ていく」べきです。
 その上で,そのデータを元にして「現地人の教育に力を入れた」かどうか判断するのならば,「歴史的事実を丹念に見て」いると言えるかも知れません(結局データ頼みになっているという点で,表層しか見ていないという批判はされるでしょうが)。
 田母神氏はそのような調査を一切省き,「帝大が造られた」という事実だけを以て「現地人の教育に力を入れた」と結論付けています。これではデータと結論とに関連性が無く,データ自体は正しいのに結論が間違っているという,一見奇妙な現象を生み出す元となります。


 これを「間違いのない論文」と評する人達は,以前話題になった,『ゲーム脳の恐怖』(NHK新書)の論法を支持する人達でなければなりません。何故なら,『ゲーム脳の恐怖』も,それが基づくデータそのものには全く間違いがないからです。
 『ゲーム脳の恐怖』の著者(森昭雄)は,実験によって得られたデータを元にして,「ゲーム脳の人がゲームをしている時の脳波の動きが痴呆者のそれに似ている」ので「ゲーム脳」が存在すると主張し,「キレる子ども」と関連づけたため,山本弘氏などの批判を受けました。
 森氏は,ゲーマーやプログラマー達の普段の生活に興味を払わず,ただ「ゲームを長時間している」とか「モニターの画面を長時間見つめている」ことだけを判断材料にしてデータ分析を行い,さらに,比較対象を痴呆者に限り,何の検証もなく「ゲーム脳以外には痴呆者にしかそのような脳波が観測されない」という前提を作ってしまったため,批判が多く寄せられることになるような本を書き上げてしまったのです。
 ここで,データそのものは捏造された訳ではなく,実験方法が不味かった訳でもないのに,それに基づいたはずの議論がなぜそれほどまでにひどかったのかという疑問が出てきます。
 それは,いくら精緻なデータを利用しようとも,論を組み立てるのが人間である限り,論の組み立てに誤りのある可能性があり,その誤りがあまりにもひどい場合,論そのものもひどくなってしまうということです。


 結局のところ,田母神論文は歴史研究ではなく,ただ単に自衛隊を批判する論者の存在を疎ましく思う気持ちから,恨み辛みを書き散らしただけのものでしかなく,その内容に過剰反応しているマスコミや野党の支持者,果ては政府関係者まで,その頭脳の程が知れようというものです。

 さて,歴史に関係することを考えることを「歴史認識」と言ってしまうのなら,これも歴史認識問題の一環なのかも知れません。まあ各事実に関しては少なくとも歴史研究の結果待ちとなる部分があるので,単純に事実が間違っているとは言いにくいのです。それゆえ,「書いてあることに間違いはない」→「論文に間違いはない」という単純な思考に陥り,「論文が間違っていないのに云々」という意見が出てくるのです。

 この論文を「完全なもの」として問題視するのなら「現職自衛官が政府見解と異なることを公然と述べ立てた場合,文民統制の立場から政府が統制するのは当然」程度のことしか言えないのですが,それ以前に論文と言える代物かどうか判断しておくべきでしょう。
 私はそのような代物とは言えないと思いますし,それに最優秀賞を与え,懸賞金まで出すような会社や審査員の信頼性も問われるべきだと思います。


 coffeeは田母神論文に関して「『田母神論文』に文句のある奴は、『田母神論文』のどこがどのように間違っているかを具体的に指摘して説明しろ!」と言っていますが,これに対しては一言で終わりです。


 論の組み立て方そのもの


 すでに述べたように,指摘した事実と展開している議論との間に関連性が見受けられないという間違いなのです。執筆者の思想に踏み込むまでもないことです。

 さらにcoffeeは田母神論文を「事実に基づいた立派な論文」だと言い,よりにもよって田母神を「神」と称しました。この程度で「神」だとは,coffeeは何とも大安売りしたものだなと思う程度で,私には何とも噴飯ものとしか思えません。
 (田母神氏が航空幕僚長の職にありながらこのような論文を出したことが立派だというのなら,それはそれで権威主義的な様相を呈しているのですがね)



参考
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現:田母神は神!反省の弁なし!・田母神俊雄前空幕長が記者会見・謝罪や反省など全く必要ない・「日本が悪い国だという認識は修正されるべき」・「政府見解に一言も反論できないとなると北朝鮮と同じだ」
 http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/36818396.html

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時


田母神は神です!
政府による解任は不当解任であり、まさに北朝鮮と同じです。
このような言論弾圧を国民は絶対に認めてはいけません。
「田母神論文」に文句があるなら、どこがどのように間違っているのか具体的に指摘して説明するべきです。
麻生のような無知な人間が何の検証もせずに唯々諾々と村山談話を踏襲することの方が、余ほど無責任であり、日本の国益に反します。
村山談話を踏襲し、更には言論弾圧を行う卑怯な麻生は恥を知れ!
deliciousicecoffee
2008/11/05 02:15
「現職自衛官が政府見解と異なることを公然と述べ立てた場合,文民統制
の立場から政府が統制するのは当然」は如何に擁護されるのか?

確かに論文といえる代物ではないが、そのことは文民統制の立場からは問題にする意味はない。
意味を持つのは政府見解と異なるかどうかの一点。
政府見解と異なる見解を示すことが如何に文民統制を危うくし得るのかを示めせ。
太郎
2008/11/11 18:42
文民統制を教条主義に陥り運用を誤ってはいけない。
我々は今、文民統制の理念に立ち返る必要がある。
文民統制は軍部の暴走を抑止するという理念をもっている。
この暴走抑止の理念に鑑みどのようなシステムを採用すべきなのか?
文民統制を実現するために最も本質的な抑止策は指揮権と人事権を文民が持つことである。
この権利は現在の日本において文民が完全に掌握している。
この現実において田母神が政府見解と異なる見解を示すことが何故文民統制に危機をもたらし得るのか?
文民統制の教条主義に陥り、政府見解と異なる思想信条をもつ者を徹底的に排除することによって言論の多様性が失われ、ある一つの組織内に統一の見解が支配することの方が文民統制をより危険にさらすことになりはしないか?
以上の理由によって田母神を更迭すべきでないと結論付ける。これは思想信条の自由の観点からも擁護されよう、なぜなら思想信条の自由は言論の自由によって担保されるのだから。
太郎
2008/11/11 20:00
>coffee氏
全く同じコメントを他のWeblogでもしているようですね。わざわざコピペしにお越し下さったということで,お疲れ様です。

>太郎氏
「文民統制」の部分は,マスコミで「田母神の更迭は当然」と考える人の持ち出せそうな理屈を仮定したのであり,論文の質と組み合わせた話をするつもりは毛頭ありません。
「文民統制に危機をもたらし得る」のは「田母神が政府見解と異なる見解を示すこと」ではなく,そのような組織としての方向の統一性を危うくする可能性のある行為を「全く放置すること」です。ですから,「田母神の更迭」が処置として妥当だったかどうかを問う余地はあるでしょう。
あと,「田母神を更迭すべきでない」という結論とその理由との間に飛躍があります。「田母神の更迭」という1人の現役自衛官が更迭されたに過ぎない現段階で,「政府見解と異なる思想信条をもつ者を徹底的に排除すること」とまで言えるでしょうか。それとも太郎氏は,その他の事例も数多くご存知の上で発言されているのでしょうか。
Eric Prost
2008/11/11 21:54
徹底的とは人数ではありません。更迭という手法がやりすぎだという意味ですので、表現が適切でなかったことを認めます。
しかし、田母神は一自衛官ではなく幕僚長です。首の重さが違います。
彼の首が飛んだだけで組織内の自由な言論が制限を受けることは妥当な推測であると考えます。
「そのような組織としての方向の統一性を危うくする可能性のある行為を「全く放置すること」」は文民統制に危機をもたらしえません。なぜなら文民統制は「組織としての方向の統一性」を目的にしていないかです。「組織としての方向の統一性」は軍の強化が目的です。あくまで文民統制は軍部の暴走の抑止が目的です。ですから統一された思想の支配が文民統制を危険にさらすと考えるのです。
ですから政府見解と異なる見解を示すことが何故文民統制を危うくし得るのかを示めせと要求しているのです。
太郎
2008/11/12 23:54
もう5日もたってしまった
満足のいく回答が用意できないものと考えます
以上
太郎
2008/11/17 13:05
> 太郎氏
「5日」という時間をどう捉えるかは個人の感覚の問題であると思うが、私から見れば「たかだか5日しか経っていない」のですが。
この問題にそんなに構っていられるほど暇人でもないし,暇があってもわざわざそこに時間を使いたいとも思わないのでね。

まあ,文民統制をどういうものであると捉えるかという点にすでに問題があります。私は法学・政治学については全くの素人なので,何となく「文民統制とはこんなものだろう」と思って話を進めていましたが,それについて貴方に基づくものがあるのなら,示して頂けると幸いです。もしないのだとすれば,ただの水掛け論でしかなく,虚しいばかりであり,これ以上続ける意味もありません。
そもそも「文民統制云々」が私の「もしその方面から責めるならこのようなものが考えられるかな」という假定から起こったもので,深く関わろうとも思わないので,文民統制の面から問題がないと言えるのなら,それはそれで良いんじゃないですか(根拠となる文献情報があるとありがたいですが)。

この記事では「論文といえる代物ではない」ことを問題にしたのでね,私はそっちの話を深めたいのですよ。
Eric Prost
2008/11/17 22:22

コメントする help

ニックネーム
本 文
「田母神論文」は如何に批判されるべきか Eric Prog/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる