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zoom RSS 知識不足と思い込みによる違和感

<<   作成日時 : 2008/08/20 23:55   >>

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(追記2009/11/25:この記事を御覧になる方は,「過去の記事(2008/8/20付)に関する訂正とお詫び」も併せてお読み頂きますようお願いいたします)

 北京五輪の男子110mハードルで,開催国の英雄劉翔が姿を見せたものの,結局走らずにリタイアとなったことについて,中華人民共和国のネット上では劉翔に対して批判の嵐が巻き起こっている。
 …としているTV番組がありましたが,ネットニュースやインターネットを見てみると,そうでもない掲示板があって,いずれにしてもそれは真実の一部を都合良く切り取ったものでしかないのだなと思います。

 前日(8/19)のABCテレビ『ムーブ!』でも,劉翔の話題がありましたが,その中での勝谷誠彦の発言に,ちょっと気になるものがありました。

 後半部分,山本譲司が「格差社会の中で中国国民のフラストレーションが溜まっている」と指摘した後なのですが,画面には
その後大手サイト掲示板
 「13億の中国人民のメンツをつぶした」
 「敵前逃亡だ」「走れなくてもゴールまで歩け」
 ↓
 新華社通信
 「習近平国家副主席が見舞いの電報を送った」
 批判の沈静化に躍起

という内容のチャートが出ていました。


 さて,そこでの勝谷の発言だけを抜き出すと以下の通りです(色付けとフォントサイズの変更は筆者による)。


 (劉翔は)官製ヒーローなんですよ。国が作ったヒーローな訳です。だから習近平としてはそっちに立って,なんとか沈静化を図らざるを得ない。中国で起きている人々の感情を政府がコントロールできなくなっていることの一つの大きな現れでね。さっき山本さんが言ったように,その中で渦巻いているのは,格差社会と嫉妬なんですよ。これが,劉選手があれほど稼いでなかったら,こういうバッシングにはならなかった可能性が多いのと,四川地震の時にですね,あの後ネットで何が渦巻いたかというと,「あんな金持ちなのに,これだけしか寄付してない」っていうことでものすごいバッシングが起きましたね。だから今,そういう方向にみんな人々の心が行っちゃってることの典型的な例。



 でもやっぱりね,それの感情のやっぱり強さって,中国は特に強くてですね。これ,日本で例えば全く同じ,野口みずきさんに誰がそういうこと言いましたか。「早く良くなって下さい」、「どんなに悔しかったでしょう」。土佐礼子さんに誰が言いましたか。「よく頑張ってあそこまで走ったね」ということでしょ。日本中がそうなんですよ。ところが中国人っていうのは「死者に鞭打つ」って言葉があるんですよ。王朝が替わると,前の王朝の死体を掘り出してそれに鞭を打つという。つまり倒れたものに対してのですね,考え方がやっぱり違うそういうメンタリティの違いは確かにあるんですよね。



 これね,あの怖いのはですね,例えば,その,色んなところでこういう感情爆発起きる可能性がある。例えば一時期報じられましたけども,あの,人民解放軍の若手たちが「台湾を攻める」と言ったと。そういうことで盛り上がったと。盛り上がってそれがネット上の中で,国民の期待が「おお,いいじゃないか」と,今の劉翔さんみたいな形に,なった時に,今度それを止めると,今度劉翔になっちゃうんですよ,また,止めたら。そういう風に,そう,止まら,止めに止まらなくなっちゃう(とめにとまらなくなっちゃう),ということは非常に怖いということを我々知っておいた方がいいですよね。



 勝谷には誤認している点が2つあります。それと,彼自身の中共観が相まって,全体の流れとしてはおかしくないはずなのに,非常に違和感が残る発言となってしまっています。

 まず,野口みずきと土佐礼子に非難の声を浴びせる者がなく,日本中が激励の声を上げたと高らかに述べていますが,Yahoo!のニュースに付いたコメントを見る限り,野口にも土佐にも(少なくとも)それなりの数の批判が出てきています。これが全て日本人以外の仕業だとは言えないでしょう(証拠がない)から,これが事実誤認なのは明らかでしょう(もちろん,勝谷が言うような激励の声もあるのですが,それが全てではない)。
 また,中華人民共和国のネットに批判的な発言があるのは事実ですが,劉翔を擁護する書き込みもそれなりの数あることもまた事実です。これも全て中共の肝煎りとは言えない(劉翔批判が消されているのが事実としても,存在しない劉翔擁護者を捏造したとまでは言えまい)ので,事実誤認と言うことができるでしょう。
 まあ勝谷としては,日中の違いを鮮明にすることで,後の自分の論に結び付けていきたいのでしょうから,多少の事実誤認は意図的なものなのかも知れませんが,ジャーナリストが意図的に情報を捉えているとしたら,それはすでに「真実を傳える」という理想にはそぐわないものであり,プロパガンダ的なものに成り下がってしまいます。

 また,中国は「死者に鞭打つ」と言っています。これ自体は,日中を問わず「日中の死生観の違い」として一般に認められている*ところなので,間違ってはいないのですが,これは「前の王朝の死体を掘り出してそれに鞭を打つ」ということではありません。
 この出自となったのは,史記巻66伍子胥傳にある話です。伍子胥は楚国の人でしたが,君主に殺されそうになり,父と兄は殺されましたが伍子胥は呉に亡命,その後呉で出世し,呉の兵を率いて楚の都と落としました。しかし,すでに当時の王だった平王は死んでしまっており,息子の代になっていたので,伍子胥は平王の墓をあばき,屍を引きずり出して300回鞭打ったということです。
 ここで気を付けなければならないのは,伍子胥が平王の屍に鞭打ったのは,あくまでも父(と兄)の仇討ちのためにやったことであるということです。さらに,その行為が当時の知識人から批判されており,伍子胥も「倒行逆施」すなわち「人としての道にもとる行動」であることを認めた上で,「年食って時間がないからしょうがなかった」と弁明までしています。これを「中国人は死者に鞭打つ民族だ」という根拠にするのは,嘘とまではいかなくとも,やはり飛躍があると言わざるを得ません。
 それ以外の「死者に鞭打つ」と言えば,南宋時代の英雄岳飛を謀死させたとして,現在でも岳飛像の前で夫婦揃って跪く像が残され,その像に唾を吐きかけられるようなことがあった秦檜のことが念頭にあるのでしょうか。しかしこれも,厳密には「死者に鞭打つ」ではないですし,ましてや「前の王朝の死体」でもありません。勝谷の「前の王朝の死体を掘り出してそれに鞭を打つ」という発言の根拠となった事件は,一体全体何なのでしょうか。明らかに誤認があるように思われます。
 実際のところ,勝谷は伍子胥と秦檜の事例を混同して,「死者に鞭打つ」を理解しているようなのです。そして,ここに中共に対する「思い込み」を加えることで,中共を否定的に見る材料として,この日中の死生観の違いを使っているのです。全体的には割と納得できそうな流れなのですが,この混同があるので,理屈が通っていないように感じるのです。

 そして最後に,「中華人民共和国の国民の感情爆発が怖い」と言っていますが,これも,別に中華人民共和国に限ったことではなく,市民に余裕がない社会ではしばしば起こる事態でしょう。ただそれが,日本にとって都合の悪い形で現れやすいため,怖いと表現されるのでしょう。

 これらから考えると,違和感の正体というのは,7割ほどの正確な知識に3割ほどの不正確な知識を混ぜ,そこに思い込みを調味料として加えたことによって生じる「論理の通りの悪さ」だったのでしょう。
 こういう事があると,勝谷のジャーナリストとしての信頼性が下がることになりかねないので,何とももったいない(反勝谷の人にとってはありがたい)ことです。目的のためなら,多少の不正確さは許されるというのであれば,それは左翼のプロパガンダに対するものと同じ批判を浴びせるべきでしょう。手段を正当化しようとしても,不当なものは不当なのです。


 しかしさらに問題なのは,このような不正確な知識のひけらかしをその場で批判できる人が居ないことです。勝谷は中国問題の専門家ではありませんが,この日上村幸治が居なかったことで,中国に関しても「最も詳しい人」の地位にあったのです。その人が不正確な知識をひけらかし,誰も訂正できないようだと,そこで作られた不正確なイメージが独り歩きすることになってしまうでしょう。
 我々に「メディア・リテラシー」が必要なのは,実はこういった「不正確な知識による導き」が含まれているからなのかも知れません。勝谷の言っている事が,詳細に検証すれば間違いを含んでいることと分かるように,メディアの情報を鵜呑みにすることなく,限界があるとは言っても(自分の知識の限界、特定の情報を受け付けないという性向など),自ら検証しながらメディアの情報を受け入れていくことが必要なのでしょう。

 それにしても,「止めに止まらなくなっちゃう(とめにとまらなくなっちゃう)」ってのはどんな言葉なんでしょうか。「已むに已まれぬ(やむにやまれぬ)」というのは聞いたことがありますが,「止めようとしても止まらなくなる」という意味で「止めに止まらなくなっちゃう」と言った人を初めて見ました。しかもそれは「已むに已まれぬ」とは意味が違う訳で,これが普段国語力を云々言っている人の言葉なのかかとも思ってしまうのです。


* 加地伸行『沈黙の宗教―儒教』、張石「日中戦争における旧日本軍と中国軍隊の「敵の慰霊」について―日中の生死観をめぐって」(法政大学国際日本学研究所編集『東アジア共生モデルの構築と異文化研究』所収)参照

(追記2009/11/25:この記事を御覧になる方は,「過去の記事(2008/8/20付)に関する訂正とお詫び」も併せてお読み頂きますようお願いいたします)

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