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zoom RSS 扉「を閉める」?「が閉まる」?

<<   作成日時 : 2007/06/07 09:42   >>

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 電車*1に乗っていると、発車間際「扉が閉まります」とアナウンスされることが多い。
 しかしここ数年、「扉が閉まります」を「扉を閉めます」とアナウンスする車掌*2が散見されるようになった。
 これは、日本語の問題から来ているらしい。車掌は扉を閉めるスイッチを操作するのだから、「扉が閉まります」とまるで自分が関与しないかのような表現を使っているのはおかしい。車掌の行為だから「扉を閉めます」と言うべきだというのである。

 しかし、この考え方は、まさに「一を知って二を知らない」ものであると言わざるを得ない。そもそも、「閉める」という語は、「“閉まる”という状態を導く」ことを示しているが、かなり積極的な印象を受ける。「電車の扉」は、機械装置によってではあるが、「閉まる」動作をすることができので、「閉める」という動作は、被動作主の「閉まる」という動作を導くものであると考えても良かろう。

 ここで考えなければならないのは、「閉める」ということばの意味と、被動作主を主語とした場合、どのような表現を用いるべきかということである。
 
 まず、「閉める」という語を使っている以上は、車掌が手を触れて扉を閉めにかかっている状況を想定し、それを敷衍して、車掌が扉を閉めるスイッチを操作することによって扉を閉めていると考えていることになる。しかし、そのような状況は、まずと言って良い位に、無い。通常、車掌は手元にある扉開閉装置のスイッチを操作しているだけである。そのスイッチの働きによって機械的動作が起こり、各扉が閉められていくのである。これも、扉は閉められていくのではなく、開けられていたのが元に戻るだけだという言い方すらできるかも知れない。この場合、車掌の意図は扉に対して非常に限定的にしか働いていないということは指摘されても良いだろう。
 つまり車掌はスイッチを操作するだけであり、扉を閉めている訳ではないということである。そもそも車掌は「扉が閉まったこと」を直接確認する術すら持っていないのだ。各車両に「扉が開いている(扉が閉まっていない)ことを示すランプ」が装備されていることからもよく分かろう。車掌は「扉を閉め」ている訳ではなく、「扉が閉まることを導いている」に過ぎない。そして、それは決して積極的意味合いを持っているものではない。
 確かに車掌は「扉が閉まることを導いている」から、「扉を閉めます」と言っても良いかも知れないが、扉をメインに考えるとどうだろうか、「扉が閉まります」が間違いであるとまでは言えないだろう。
 2つ目の問題とも絡むが、「誰が」扉を閉めるかということを、それほどまでにはっきりさせる必要があるのか。「誰が」の部分をはっきりさせなければ、日本語のコミュニケーションは保てないのか。
 例えば、自動ドアも誰かがスイッチを"on"にしなければ自動的に閉まることはない。しかし、スイッチを"on"にした人を「扉を閉める人」と考えることはない。また、自動ドアの装置を構築した人間を「扉を閉める人」と考えることもない。機械的に閉まる扉のスイッチを操作する人間のことを常に考えている訳ではないのだ。こうなると、ただ機械のスイッチを入れるだけの人間が、動作主として表現されなければならないのかという問題を検討しないうちに、車掌を「扉を閉める人」と規定してしまっても良いのかどうか、これを考える必要が出てくるだろう。

 2つ目、主語は読み手の注意を向けるべき対象となるものである。よって、「扉が閉まります」と言う場合、乗客の注意を向けさせる対象として意図されているのは扉である。しかし「扉を閉めます」と言う場合、扉は目的語であって主語(subject)ではない。つまり、乗客の注意を向けさせる対象として意図されているのは扉ではなくて車掌であり、「車掌の動作に注意を向けよ」と言っていることになるのだ。つまり、「扉を閉めます」という表現では、扉に注意を向けるべきなのか、それともスイッチを操作する車掌に注意を向けるべきなのか、という問題が頭をもたげてくるのである。
 駅員が「扉を閉めます」といっている光景があるとすれば、それはもはや論外だ。駅員は扉を閉めないどころか、扉に対しては傍観しているだけで、その操作に関わることすらしないのであり、扉を目的語とする主語として動作を語る立場にはないのである。

 この場合、車掌や駅員を含めた所謂「鉄道員(もしくは「鉄道会社の人間」)」が関与している行為だから、「扉を閉めます」で正しいのだと言うのだとすれば、それはそれで正しいのかも知れない。しかし、だからと言って、「扉が閉まります」という表現が間違いであるという主張をするのは、いかにも狭量なことである。上記を逆の視点から見れば、「扉が閉まります」という表現が、これまた正しいものであるということくらいは分かるだろう。

 結局のところ、鉄道の場合、「扉が閉まります」でも「扉を閉めます」でも日本語として間違いはないのである。それを、「扉が閉まります」の方はあたかも間違った表現であると言わんばかりの言説が蔓延しているために、考えざるを得なくなったのだ。まあ、そもそもは古い話だけれども。

参考:http://www.taishukan.co.jp/meikyo/meikyo_kitahara_column.html


*1 ここで言う「電車」は、一般的な鉄道車両の編成を想定している。すなわち、ワンマン、車掌付きに関わらず、複数の扉を一元的に開閉できる装置を備えた車両を使用しているいうことを前提にしている。
*2 ワンマンの場合、運転手兼車掌になる。

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