Eric Prog

アクセスカウンタ

zoom RSS 国語の文章問題について一考察

<<   作成日時 : 2006/11/12 18:15   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 国語の文章問題で小説が出てくると,陰鬱な気分になったものです。
 小説を読むのが苦手で,「そもそも小説に出てくる人物の気持ちだとか何だとかを決定する権利があるのは著者であって,問題作成者ではない」と思っていたせいもあり,解くのが嫌になってしまう事もしばしばありました。

 ただ最近色々とあった結果,考え方が変わったのか,このような考え方も結局は「客観性への無批判な信頼」の1つの形態でしかないと思うようになりました。

 「気持ちや何やら」を問題にするとき,なぜ我々は「小説の文章問題」を批判し,「評論文の文章問題」は批判しないのでしょうか。これは「評論文と小説の違いとは何か」ということにも関わってきます。
 「評論文は客観的なもので,小説は感情を吐露するもの」と考えているから,評論文における「作者の気持ち」は批判の対象にはならないのでしょうか。もしそうだとすると,文章の持つ性質というものを誤って捉えていると考えられます。

 そもそも,評論文も小説も,人間が述べるものであるという点では,性質に大した違いがありません。そうである以上,「主観的」の域を完全に出ることはできないもので,「客観的」という性質は本質ではなく付属的なものです。
 ですから“客観的な文章である評論文では,小説と異なって「著者の気持ち」が入ってはならないもので,文章を読めば内容が読み取れるものになっている”と考えるのは,確かに評論文はそのように書く必要はありますが,「思い込み」であり,評論文と小説を分ける線を捉えられていません。
 ただ,議論をする上で評論文には1通りのみの読み方しかできないことが求められるという違いがあるだけなのです。評論文に多くの読み方があると,それが議論の場に乗るときに不都合があるので,1通りにしか読めないように書いてもらう必要があるのです。
 小説との違いはそこなのです。小説はそれ自体の世界を構築するものですから,議論の場への乗せられ方からして違います。文章の性質が異なっているのではありません。

 あるHPにこのような文章が載っていました。
もし文章問題に「正解」があるとしたら、それは「著者の考える『正解』」という定義に異を唱える人は少ないでしょう。

 私はこの定義に異を唱えます。この定義は明らかに“「作者の気持ち」は絶対的なものである”という見解に基づくもので,文章問題において「著者の考える『正解』」は必ずしも「正解」とは限らないのですから,こう定義するのは妥当ではありません。
 なぜなら,「文章に表現されたことを読み取る」のが文章問題の目的であり,もしそれが「著者の考える『正解』」と違う場合,それは「問題作成者が間違っている」こと*1ではなく,「著者の表現能力が不足している」ことを示す*2からです。

 先の文章の作者はこうも言っています。
問題作成者が勝手に作った『正解ですらない正解』に解答者は従わなければならないなんて実に嫌な世界です。

 問題作成者が「勝手に作った」と言いますが,文章の展開からそのように読み取れるのであれば,それはやはり「文章問題における正解」なのです。それを「正解ですらない正解」とまで言ってしまうのは,やはり言い過ぎの部分があるでしょう。
 但し,「作者の気持ち」が誤解されやすい小説の文章問題そのものへの疑問は確かに聞くべきものがあるでしょう。先の作者も以下のように*3言っています。これは文章問題がはらむ問題点です。
 小説は(前章で書いたような『正解』*4はあるものの)様々な読みとり方ができますが、逆に言えば著者が伝えたかったことと違うように読みとってしまいます。評論文などの方が、「伝えたいことを相手に正しく伝える」「相手が言おうとすることを理解する」という「使える国語能力」が鍛えられるはずです。



 さて,文章問題を作る側にいくつか注文があります。
 いくら「次の文章を読んで後の問に答えよ」と冒頭に書いてあるとしても,問題作成において「作者の気持ち」(小説においてはその登場人物の気持ちも)を著者とすり合わせていない以上,「〜の気持ちとして」とか「この文章で作者が言いたいこと」というような表現を使うべきではありません。著者の意図が明確に文章に表現されているとは限らないからです。著者の文章力(言語運用能力)不足によって著者の意図と異なる文章が書かれている可能性もあるのです。このような表現*5をするから「正解」が「正解ですらない正解」と言われてしまうのです。
 「作者の意図」を読むでのはなく,「字面から文章を読み解く」のですから,いかに不必要と思えるような状況*6でも,文章から読み取るという意味の言葉(「読み取れる」、「うかがえる」など)を「必ず」用いなければならないのではないでしょうか。

 文章問題は読解力を付ける意味で非常に重要な意味を持つものですが,「文章問題」だからこそ,問題を作る側には設問の文章に気をつけてもらいたいものです。



*1 問題作成者が問題作成において文面を読み取れていないという単純ミスは,この場合除くものとします(問題外です)。
*2 逆にそのようにすることで何通りにも読める文章を書く方法もあります。もちろんこういう文章も魅力あるもので,1つの読み方しか許さない文章しか存在を許されないのは窮屈です。そして「文章問題」を作る上で,このような文章を取り上げるのは不適当でしょう。
*3 先に述べているように,評論文と小説との差は大したものではないので,評論文にも「何通りにも読める文章」が存在し,必ずしも「使える国語能力」が鍛えられることにならない可能性があります。
*4 最初に引用した「著者の考える『正解』」の事を指しています。
*5 文章問題の設問の文章として悪い例を以下に挙げます(問題の形式に関わらない部分は略しています)。問題文を読んだだけで判断できるということがわざわざ書かれていないことが理由です。
(略)とあるが、筆者がこのように考えるのはなぜか。その理由を簡潔に書きなさい(2003年実施大阪公立校前期入試国語 三−3)
(略)とあるが、この気持ちを説明したものとして次のうち最も適しているものはどれか。一つ選び、記号を書きなさい(1999年実施大阪公立校一般入試国語 一−3)
(略)とあるが、この白井の行動にはどのような気持ちが込められているか。その説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ(1999年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第2問 問4)
(略)についての作者の考え方を説明したものとして最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ(2000年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第1問 問3)
なぜ(中略)のか。その理由として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ(2000年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第一問 問5)

 けなすだけなのも何なので良い例も挙げておきましょう。本文を読むことによって判断できることをわざわざ述べていることが理由です。
本文で述べられている筆者の主張に合致する考えを、次の1〜6のうちから二つ選べ(1999年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第1問 問6)
(略)という表現から、半蔵のどのような思いを読み取ることができるか。その説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ(1997年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第2問 問3)
本文中、(中略)などから、清子のどのような人物像がうかがえるか。その説明として最も適当なものを、次の1〜5のうちから一つ選べ(1998年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第2問 問4)
(略)本文から読み取ることができる「翁」の考えを簡潔にまとめなさい(2000年実施大阪公立校一般入試国語 三−4)
本文における筆者の主張に合致するものを、次の1〜6のうちから二つ選べ(2001年実施大学入試センター試験本試験 国語I・II−第1問 問6)

*6 文章の穴埋め問題は「原文を正解とする限り」説明は不要として良いと思います。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
国語の文章問題について一考察 Eric Prog/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる