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zoom RSS 「ディベート」…しなくて良い!

<<   作成日時 : 2006/10/05 22:48   >>

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『中国とディベートする』/北岡利明+「ディベート大学」著/総合法令/2006

 なぜ今頃こんな本を読んだのか,それは本屋で立ち読みしたときは買うのが余りにもバカバカしくなって買わなかったけれども,最近図書館で偶然見かけたので借りてみたからです。

 …この本を読んで,「ディベート」とはどのようなものかがよく分かった気がします。まあ元々"debate"という言葉自体"beat"と語源を同じくする部分があることからも「相手を打ち負かす」ことが目的化するのは当然といえば当然の成り行きではありますが,それだけが強調されるようでは「相互理解」や「多文化共生」の方向には進んでいかないのです。それゆえ,「中国とディベートする」こと自体の意味・目的が問われます。
 中国と共生していくつもりがないのなら,徹底的に打ち負かしてしまうという選択肢もあるでしょう。しかし,議論した上で付き合いを保っていこうというのであれば,相手の「面子」を潰すことで自らの平安を得ようとする方法は,日中双方にとってふさわしいものではありません。

 北岡はディベート術として4つの基本原則を掲げていますが,その直前に「中国からの理不尽な言いがかりには、即刻、タイミングを逃さず断固たる反論をする必要がある」と述べています。ここで非常に面白いことに,どのような場で「中国からの理不尽な言いがかり」が為されるのか述べられていません。外交交渉の場でこのようなことが起こるとしても,我々一般の読者には余り関係のないことですから,ビジネスの交渉の場ということになるのでしょうが,これからビジネスの話をしようというときに政治的な事柄を持ち指すこと自体が不当なのですから,その事柄に反論する必要そのものがないと考えるべきでしょう。そして,もし相手方がそれを前提とするような場合,「ディベート」で打ち負かすことがふさわしいものかどうか考える必要があるでしょう。
 学問的な場(授業や講演、公開討論)においてこのような言いがかりが為される場合,基本的に「その場で勝つ」ことに意味はない(単なる根拠のない作り話は,後で否定される対象となる)のです(その場の議論の成績を良くしたい:評価に影響するなどの事情があるのなら話は別)。
 要するに,「ディベートで勝つ」こととは,「その場を支配する」ことでしかなく,勝ったところで「事実」の争いに勝ったことにはならず,争いそのものは尾を引き続ける(発展性がない)ということが前提とされる必要があるということです。

 そして,基本原則を見てみると,「アメリカ的」な議論展開法の象徴となっています。これはいわゆる「言うたもん勝ち」でしかなく,「声の大きい者がその場を征する」という「民主主義もどき」(本来は声の大きさで議論の勝敗が決まるのではないが,民主主義の多数決原則の如く声の大きさが勝敗の決め手とされてしまっている状態)の展開しか生みません。このこと自体に疑問が持たれている時期にしては,何とも古いものではありませんか。

 さらには,この本が前提にしている“今、日本は中国と「コトバによる戦争状態」にある”ということ自体妥当なのかどうかを考えてみる必要があるのです。
 まず,日本の誰と中国の誰とが「コトバによる戦争状態」にあるのかはっきりしません政府首脳同士で言うと,小泉は(賢明にも)この状態を回避しました。おとぼけ戦術でのらりくらりと中国首脳の追及をかわし続けたわけです。中国に応えないことは首脳会談の停滞を招いたという面もあるでしょうが,戦術の1つとしては「あり得る」ものでもあります。そして安倍も現時点でその戦術を受け継いでいます。ですから政府首脳同士が「コトバによる戦争状態」にあるとは言えないのです。
 インターネット上における反日と反中の応酬を指すとすれば,それは「私事」でしかなく,「戦争」という言葉を用いるべきものではありません(「戦争」という言葉を簡単に用いることがありますが,本来は国家同士のレベルで起こるだと考えます)。
 「コトバによる戦争状態」は具体的にどの次元の状況を指しているのでしょうかね。

 さて内容ですが,はっきり言ってしまうと,この「ディベート」が想定している問答自体に無理があるように思います。北岡(+「ディベート大学」)が演じる「日本人」や「愛国者」の主張は(自分たちなのですから当然)理路整然としていて筋が通っているのに対して,相手方となる「中国人」の主張はごり押しの「無理矢理」が貫かれており,議論そのものが成り立たない様(北岡側の圧倒的勝利)に見えます。
 しかし,これは相手方の考え方を想定に加えていないと考える方が妥当でしょう。今時,余程愚か者でない限りは,「中国人」のような問答を仕掛けてくる中国人はいません。で,愚か者は如何に「ディベート」で打ち負かしても無駄(負けを認めないので「ディベート」そのものが意味をなさない)なので,議論の相手としての資格・価値がありませんから,この本の「ディベート」そのものの意味がなくなります。
 そして,この本で為されている「ディベート」は議論を打ち切ってしまう言葉が多く,単なる罵り合いに発展する要素しか見受けられません。本来我々は中国人と議論を行っていくべきであり,「議論を打ち切って」しまうべきではないのです。その意味でこの本は日中関係の今後に何ら益するところがありません,「ディベート」を発展させる方向性が間違っています。


 それにしてもバカバカしいのは,北岡が私と同じ同窓会の会員である(少なくともその資格を持っている)ことです(会費は当然払っているでしょう。もし払ってないとしたら,著書多数出している割には,ケチということになりますしね)。(別にどうでも良いことなのかも知れませんが)もうちとましであって欲しいと思うのです。

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