Eric Prog

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zoom RSS 「絶対世界」は誰のもの?

<<   作成日時 : 2006/09/25 22:07   >>

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「真理」とは、「絶対世界」に存在するもの。」について

 人が定義するものが「真理」になり得ないとするならば,我々は「真理」を如何に定義できるのでしょうか? ここまでくると論理学的な問題となってきていますが,お姉様が定義したものも「真理」にはなり得ないのですから,「真理」は定義し得ないと言うことになります。定義し得ないものを理解することなどできないわけで,答えが1つになることなどあり得ない(答えが1つなのか,複数あるのかすら解明されない)と言いたいのです。

 その上で私自身は,「感覚」は(例え宇宙的であっても)主観的なものであり,そこで定義される「真理」はやはり主観的なものでしかないと思っています。

 お姉様の「絶対世界」論を見ていて感じたのは,人はそれぞれ「絶対世界」を持っていると考えることができ,極端に言えば,「自分の世界」と言い換えることもできるものです。そうなると“「真理」を理解しない”というのは,“「自分のこと」を理解しない”とは同義であるとは言えないでしょうか。
 各々「絶対世界」を持っていると言うことは,やはりそれも主観の産物で,そこに存在するという「真理」も各々異なるのですから,同じ答えは出ないことになります。よって,「真理」は1つではないと言うのです。

 …結局,お姉様の言うただ1つの「真理」が“お姉様にとって「ただ1つ」”なのか,“誰にとっても「ただ1つ」”なのか,そして,なぜ「ただ1つ」たりえるのかが,私にははっきりしないのです。


 ちなみに,私の考えるところの“power”について言っておきましょう。
 powerは誰かが所有している「物」ではなく,それを受ける側の同意も込みになって構築される(無形の)ものだと考えています(M.Foucaultに乗っているわけですが)。故に,powerが働くとき,そこには受ける側の同意が(如何なる形にせよ)存在しているのです。
 「政治的圧力、社会的圧力、多数決」はpowerではないと言っても,その影響を受ける(ことに同意している)のですから,やはりそれはpowerなのです。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
「絶対的愛」という名の下でpowerをふりかざして、「集団で」気に入らない人をつぶす彼女に、何を言っても無駄ですよ。彼女の言っている「なにか(真理というにはあまりにも陳腐すぎる)」アメリカの新興宗教と全く同じ論理ですから。一見味方のふりをしておいて、気に入らない相手にはネットを利用した「集団」のpowerを使って、ネットで知り合った人とのつながりを断絶させる。そうして、ブログを閉鎖に追い込む。このウェブリブログができた当時の、一昨年の6月頃、ある未成年の少女が恐怖による叫びと混乱を書いたブログに対して、「集団で」一見味方のふりをしておいて、結局は彼女のブログは閉鎖に追い込まれました。しかも、その「集団」の一員であった30代の男性医師は上司からひどく怒られたと述べていました。その件は、ウェブリブログの他のブロガー達の間でも非常に問題になっていて、その彼女達の「集団」は非常に非難の目にさらされていたのです。powerを認めたくなくて「愛」だの「真理」だの、惑わされる言葉を用いることで自分は正しいと言いたい、権力志向と集団志向が見え見えの彼女達には関わらない方が賢明です。
やぎ
2006/11/23 20:35
>やぎ さん
ご忠告どうも,肝に銘じておきます。
Eric Prost
2006/11/24 21:26
「真理」は一義的な定義を拒否してると考えるのが妥当だよね。
つまり「絶対世界」は信仰であり信念だね
だから真理=「自分の世界」は極論すぎ(笑
太郎
2008/11/13 00:28

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