Eric Prog

アクセスカウンタ

zoom RSS 「真理」は容易に独善となり得る

<<   作成日時 : 2006/09/17 23:47   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

 別に宣戦布告をするつもりで言うわけではないのですが,疑問が解けないので書いてみます。

 …この文章を読むと,何とも言えない違和感が湧き上がってきます。

 全体的には,非常にうなずける部分が多いのです。
「言葉」や「行動」、「思考」に「意味」を持たせるのは、
人、そのものなのだ。

100人が自分と違うことを肯定し、行動したとしても
心からそれを肯定できなければ、
私は、例えその場に一人になったとしても、
他の100人と同様の行動を起こすことはないだろう。
…私もそう思います。さすがはお姉様です。

 しかし,こういった部分には引っかかるものがあります。
「真理」に基づいて答えを探求すれば
必然的に答えは同じになってゆく。

 で,「(思想・信条の違いによって)必然的に答えは同じになって」ゆかないこともあるのではないかとコメントしたら,このような答えが返ってきました。

いくつもの答えがあるのなら、それは「真理」ではないということですよ。

 それは逆でしょう?とコメントしたら,こう返ってきました。

「真理」とは、社会や常識、多数決など一切関係のないもの。ただただそこに存在する1つの真実。それだけのこと。そして、それは普遍的なものであり、それこそが唯一であるもののこと。


 ここまで見ると,私が引っかかった原因が分かってきました。

 「真理」が「1つの真実」であるということ,もしそうだとすれば,それを誰が規定できるのかが明らかではないのです。「社会や常識、多数決など一切関係のない」ものであればあるほど,「誰が規定するものなのか」が分からなくなっています。「真理」は誰によって決められるのでしょうか? お姉様はそれを明確には定義していませんね。

 「真理」を定義できないのに,「真理を知らない人」をどのように定義できるのか。
 流 相馬様がコメントしていた「真理」(もっとも私は「演繹的統合と、人類の英知によって「真理」は明白となる」とは思っていませんが)について,直接ではありませんがお姉様は否定されています。ただ私は流さんの言う「真理」こそ,世の中で言われる「真理」だと思います。しかし,それはpowerによって定義されたものでしかなく,「唯一絶対のもの」と言えるものではないのです(もちろん「誰もが納得できる真理」など生まれようはずもない)。
 「社会や常識、多数決など一切関係のない」ものはどのようにして決められるのでしょうか。そのようなものを我々は規定することができるでしょうか。

 まあ,ここまではまだ「そういう考え方もあるか」と見ることもできるのですが,「「真理」とは、すなわち「愛」そのものではないか」とまで言われると,さらに分からなくなります。
 お姉様の言う「真理」は,「唯一のもの」なのですから,本来物理法則等のように,追試しても同じような結果が出ることになるのでしょう。しかし,「愛」は決まった形のあるものなのでしょうか,むしろ不定形なのではないでしょうか?
 「不定形のものが,1つの答えしか持たない唯一のもの」というのは,論理矛盾があるように思います。もし,「愛」が定形なのなら,それはどのような形なのでしょう?

本当の愛(真理)の姿が何かということをしっかりと認識していれば、きっとみな、同じ選択をすることでしょうに・・・。

 これは相対性理論の記事にお姉様が付けたコメントですが,「本当の愛(真理)の姿」を規定し得るのは誰なのでしょうか。


 私の疑問は,「愛」という不定形なものに「真理」、「真実」という絶対的(と定義しているよう)なものを結びつけてしまっているところにあるのでしょう。

 私は「真理」に基づくこととは,人が属している文化の特徴に関わらず(極端に言えばそれを「捨てて」),「真理」に追従することだと思います。しかし,その「真理」が何に基づくのでしょうか? 所詮は最も強いpowerを認められた「文化(複数の文化の特徴を組み合わせたものである可能性はあります)」でしかないのです(こうなると,結局はお姉様は自分が否定した流様の定義したものに従っているのです)。
 powerの承認は文化(思想・信条)によって異なります。だからこそ,「真理」にはいくつもの解釈が存在するのです。
 その「文化」を我々は無意識のうちに受け入れていて,客観性を根拠付けるものだと思っていますが,その「文化」の正当性は何によって保障されるのでしょうか?
 この疑問に答えを出さないまま「真理」を追究し続けることとは,追従するものの正体も分からずに自分の属する文化を捨て続けることでしかありません。それができないことを誰が責められるでしょうか。
 「真理」を知らないと指摘することは,容易に自分と意見を異にする者の排除へとつながってしまいます。

 だから,私は最初に「お姉様に必要なのは,寛容さ」と言ったのです。
 お姉様の「真理」は「愛」ですか? それはある1つの様式を人に押し付けることですか? 100人がお姉様と違う行動を取ったとき,お姉様だけが「真理」に基づいている根拠は何ですか? 「必然的に同じになる」答えは何に基づいていますか?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
絶対
「「真理」は容易に独善となり得る」について ...続きを見る
Kelly
2006/09/19 00:42

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
「真理」は容易に独善となり得る Eric Prog/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる