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zoom RSS 4年に1回…ってW杯じゃあるまいに

<<   作成日時 : 2005/04/05 23:56   >>

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 扶桑社の『新しい歴史教科書』・『新しい公民教科書』騒動から4年,「採択率が低かった」などという変な理由で,検定制度の違いや歴史認識の違いなどの問題に整理が付かないまま解決した(ことになってしまった)為,4年経った今年も,また「問題」と化してしまいました。

 公民では,「尖閣諸島」,「竹島」の記述に関心が寄せられているようで,「報ステ」で取り上げられました。

 まあ,私は歴史の方に興味があるので,そちらについて一言。
 私の考えとしては,「従軍慰安婦」・「南京大屠殺」問題で中韓と日本との間に大きな溝がある原因の1つは,日本では既に「歴史学の問題」として捉えようという動きがあり,一定の賛同者を得ているのに対して,中韓では未だ「現実の(政治的)問題」として捉える動きが主流であるということがあるのではないでしょうか。
 ある事象を歴史学の問題として捉えるとき,「被害者の感情」(情緒的要因)や「戦争に対する謝罪」(政治的要因)などは,真実の探求を阻害する要素として働きます。故に,当事者や当事者に関連する人物が健在の場合,歴史学的な探求が阻害される(可能性が大きい)のです。

 さて,中韓が日本(の政治家や識者等)の言動に過剰なまでに反応する要因としてあげられているのは,「過去の歴史の反省が足りない」,「過去の損害に対する賠償が十分ではない」,「反日教育の結果」,「反日日本人が煽っている」,「中国人や韓国人は,文化的に自分たちよりも低位にあると思っている日本人の伸長を嫌っている」等々様々ありますが,どれか1つに集約されるものではないでしょう。むしろ,これらの複合したもの,もしかすると他にも要因があって,それらが複雑に絡み合ったものが原因となるのではないでしょうか。

 2001年の段階で,「歴史認識の共通化」を図る動きがありましたが,ごく一部の人の動きでしかなかった点で問題がありました。本当に歴史認識の共通化を図るのなら,「清濁併せ呑む」ではありませんが,あらゆる考え方の人が意見を戦わせて,他の要因を全て排除した全く純粋に学問的なものとして行う必要があります。
 また,「歴史認識の共通化」にはもう1つの大きな問題があります。共通化することによって,歴史認識が固定化し,新たな要因による変化に対応できない恐れがあるのです。学問的成果は,新たな要素の出現によって常時変化する可能性を持っていて,そうである以上,共通化という作業そのものの必要性が問われるべきなのです。

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