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zoom RSS 高楊枝も良かろうが

<<   作成日時 : 2004/08/07 10:35   >>

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 もうすぐアテネでオリンピックが始まりますが,この頃になると必ずと言っていい程話題になる一つに,「メダルを取った選手はいくらもらえるのか?」というのがあります。

 で,「日本選手の場合」として色々な例が紹介されていました。
 まず,日本選手はメダルを取ると(これが「メダル至上主義」と揶揄される一面ではあるのですが),その色(素材?種類?)に応じて最高で300万円の報奨金がJOCから出ます。
 で,各競技団体からどの様なご褒美が出るかと言う事も紹介されていたんですが,柔道の「なし,理由:選手は金(かね)の為に柔道をしているのではない」には笑ってしまいました。
 「金の為に柔道をしているのではない」と言うセリフは,いざ報奨金をもらうとなった選手が言うべきセリフであって,団体が金を出さないという事の説明に使うべきものではないですね。
 選手を統轄する団体は,選手が競技に専心できるように努めるべきであり,「選手は金の為に柔道をしているのではない」と言い切れるのならば,柔道の団体の福利厚生は充実しているのでしょうね。
 小川直也や吉田秀彦等が,柔道に見切りを付け,別の格闘技で活躍している状況がよく現していますよね。

 で,無しなら無しでそれ自体は構わないのですが,「金の為に柔道をしているのではない」と言うのなら,メダルの数にこだわるのは止めるべきだと思います。元々私はメダルの数や色にこだわるべきではないと思っていますが(3位と4位との間に一生越えられない溝を作り出しますし,1位と2位と3位の相互間にも溝を作っていますね),選手に対してモチベーションを与える方策を,金以外に持ち合わせていないのならなおさらです。「メダルを目指せ,金はもらえない。でも,それがおまえの仕事だ」とコーチなら言えましょうが。

 「メダルを取れば,それはそれで名誉な事だから,別にお金が出なくても構わないじゃないか」と言う意見もあるでしょう。でも,メダルや名誉で腹は膨れませんからね。その辺りを何とかしないと,精神論の純粋路線だけでは選手を育てるのも難しいでしょうね(どのスポーツでもそうですが,選手層が厚いことと団体の機能がしっかりしていることとは,日本では関係が薄いですね。日本人の生活基準の安定性がよく現れているのかも知れません)。

 ちなみに,「精神論が古い」と言っている訳ではありません。「精神論で人を動かすのは資本主義社会に合わないのではないか」と言っているのです。団体が資本主義で動き,選手個人の生活が資本主義に囲まれている中で精神論を持ち出すのなら,選手に対する福利厚生を柔術…もとい充実させて,選手が競技に専心できるようにしたらどうですか,と言いたいのです。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
昔、精神論を「美学」としていた、「武士道」の時代は、あれは何社会だったのでしょうかねぇ〜?
Kelly
2004/08/09 21:04
そういえば、随分前(初期の頃からの)私のブログを読んでくださっていたんですね?(最初に目を通していただいていた記事) それから、ちょこちょこ、覗いていただけてたんですか? だとしたら、大変光栄です!うふ。
Kelly
2004/08/09 21:05
武士道の時代(江戸時代)は,封建社会と言われる一応身分固定制(エリートへの接近可能性は低い)ですが,非エリートの操縦可能性は高くなかったみたいですから,私の好きなコーンハウザーの類型に照らすと,「共同体的社会」となります。
そう言えば,「封建的」という言葉を「古くさい」とか「昔っぽい」とかの意味で捉える人がいます。間違いだと断定できる訳ではないんですが,「江戸時代的」とはちょっと意味が違うと思うのです。
Eric Prost
2004/08/11 22:57

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