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zoom RSS 「少年犯罪考察」に一言!

<<   作成日時 : 2004/06/04 14:44   >>

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 少年犯罪を考えるときに,「子どもの考え方を大人の基準で考えてはいけない,子どもと大人の違いを考慮に入れなければならない」と言われることがある。それはそれで良いのだが,それならば,何故価値観や知識の違いを考慮に入れないのだろうか。

 少年犯罪が起こると,「どうして一線を越えてしまったのか」という疑問がよく提示される。同じ状況を与えられたときに,ある人は犯罪に走り,ある人は犯罪に走らない。この違いは何か,と言うものである。
 この疑問そのものが,大人と子どもの違いを考慮に入れていないものである。「ある行動が犯罪であるかどうか」と,「どの様な行動を取るか」と言うことは,一見密接に関連していて,誰もがそれを考えて行動しているように見えて,実はそうではない。

 そもそも,ある行動を犯罪たらしめるのは法律であり,法律の認識と行動様態の認識(何をするか)とを結びつけるものは「それが法に触れるかどうかということに対する知識」ではないか。「この行動は法に触れるから止めよう」と思うのはその結果であるが,行動と法律(加えて,それによって自分に加えられる罰)の関係を認識していないと,この思いが湧き上がることはない。
 このことを分かりやすく言えば,子どもが「つまみ食いをするとお母さんに怒られるから止めよう」と思うのは,つまみ食いという行動とお母さんが怒る(法に触れ,罰せられる)こととの関係を認識しているからこそ湧き上がるものなのである。

 その意味で,法律を認識していない子どもが行動を考える際に「何もしない」ことと「殴る」ことと「殺す」こととを分けるものは,行動と法律の関係の認識ではなく,「何をしたいか」でしかない。法律に照らしてどうかということで行動を分類してはいけない。1つ1つの行動の根底は同レベルで,その中から何を選び取るかと言うことでしかないのだから。

 大人は行動と法律の関係(加えてその結果)を考えて行動することが多いが,それは行動と法律の関係を認識し,それを思うからでしかなく,思う暇のない(キレた)ときに人を殺す可能性がある点では子どもと変わらない(実はこれが「キレた子ども」という概念を定着させてしまうのだが)。

 別に,子どもは常にキレた大人と同じであると言う訳ではない。大人の行動様式と子どものそれが同じであると何の根拠も無しに言ってのけることが問題なのだ。
 どの様な行動を取るかと言うことを考える際に,キレさせるもの(怒りとか,悲しみとか,憤りとか)の度合いによって,法の範囲内に収まるか法を逸脱するかが決定される(度合いが大きい程法を逸脱した行動に走りやすい)と言うのが,行動と法律の関係を認識している人に当てはまるものでしかないことを知っておかなければならない。

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